映画「ラーゲリより愛をこめて」、誠をどこまで通すのかという人生の命題

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映画「ラーゲリより愛をこめて」

「ラーゲリより愛をこめて」という映画を観てきました。

ネタバレしない程度に内容をざっくり書きますと、満州に駐屯していた日本兵がシベリア抑留での過酷な生活を描いた、事実に基づく作品です。

映画やアニメを見てきて、共通して共感をおぼえることがあります。

それは、「大きな流れに逆らってでも、自分の信念や理念を貫き通そうとする姿勢」です。そういうものに共感を覚えます。私自身の生き方、そして会社員時代の自分をも思い出すからかもしれません。

たとえば、「東京リベンジャーズ」の主人公も、たとえひ弱で喧嘩が弱くとも、自分の信念を貫き通そうとしています。家族から見ると、私が貫いてきた姿勢と重なるものがあるそうです。

本作も、主人公が、いかなる状況でも自分の信念や誠を貫徹しようと奮闘しています。

とくに組織では、組織の論理や不条理なことは起きます。それでも私はいやなんですよね。おかしいことはおかしいと言いたい。別に組織を辞めることになっても、経済的な後ろ盾を準備したうえであれば、尻込みする必要もありません。きちんとプランBを戦略的に備えておくことは必要ですね。

最後に勝つのは道義、誠、真心
立身出世などどうでもいい

本作では上記のようなセリフが出てきます。印象に残りますね。

いかなる状況でも、人としての矜持をもって生きる大切さが描かれているように感じました。

本作とは関係ありませんが、第二次大戦で敗戦したあと、米軍に媚び、取り入ろうとする日本人が少なくないなか、毅然とした態度で米軍に主張したとされる人は、

  1. 石橋湛山(元内閣総理大臣 など)
  2. 白洲次郎(元貿易庁長官 など)

このあたりが浮かびます。

本作の主人公も、同様の姿勢で、毅然とした態度で誠を通そうとするシーンがあります。結果的にその誠は通ります。そういうシーンも印象的でした。

もちろん現実的には、いかなる状況でも、逆境にあっても、流れや権力に逆らってまで自分を貫くのは簡単なことではありません。

非難もされるし、誤解も受けるし、白い目で見られることもあり得るでしょう。

それでも、人生の最期をむかえるときに、後悔なく幸せに生き抜くためには、価値ある行動だと私は思うのです。

国家的な要職にまでなると、それは命の危機に関わることもありえるので、現実的にはそうはいかないこともあるとは思います。それはただただ嘆かわしいばかりですが、どこまで通すのかの塩梅は絶妙な具合で、ときに留める必要があることも事実かもしれません。それは諦念に似たものかもしれません。

また、理解者がいなければ、またはたとえば政治の世界ならば、賛同者が多くなければ、いくら正しくとも気概があろうとも、ときに人は意欲を失うかもしれません。すると、たとえ最初は崇高な理念で政界に入ったとしても、ときに一種のあきらめに似た感情も生まれるかもしれません。

そういう外的な要素というのは常に障壁にもなり得ますし、強力な支援にもなり得ますね。そこで問われるのは、やはり自分自身に残り火がどれほど強く、そして固い信念を持ち続けられるか、なのでしょう。

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