沖縄「旧海軍司令部壕」を訪れた感想
沖縄本島にある「旧海軍司令部壕」に対する所感を記しておきます。
知覧特攻平和会館(鹿児島県知覧)にも行ったことがあります。知覧と同じように、この旧海軍司令部壕にも胸を打つものがありました。
なお、本記事で用いられる画像は、すべて同施設の許可を得て掲載しています。
大田少将が発した電文
まずはやはりこの名文と言われる、大田少将による言葉です。
海軍司令部壕で自決する前に、本土に送った電文です。
ひとりの日本人として、ぜひ全文を読んでいただきたいです。こういった側面というのは、心のどこかに刻んでおきたいと私は思っています。
肉弾攻撃
以下画像は、非常に凄絶な描写です。
米軍からすれば、爆雷を背負って向かってくる日本兵(または地元住民)には恐怖を感じたことは想像に難くありません。こういった戦争を経た戦勝国は、「敗戦国をどのようにしていこうとするか」も、想像に難くありません。
海軍司令部壕への道
実在の旧海軍司令部壕への道です。ここから下っていくと、司令室や下士官の部屋(と言っても、とても部屋とは呼べない地下室)が現存しています。
弾痕が残る部屋
以下画像は、司令部が自決した時に用いた手りゅう弾の弾痕が残っている部屋です。
ほかにも各部屋に「つるはし」を使って、人力でこの司令部壕を急造したことをうかがわせる痕跡が多数あります。
出撃場所
以下画像は、沖縄戦で海軍司令部壕から数々の兵士が出撃して米軍の無数の弾によって散った場所です。槍の武器が主体で、3人に1人しかライフルを所持していない状態だったとの由。
所感
以上挙げた画像は、あくまで旧海軍司令部壕の一部にすぎませんが、いずれの記録も筆舌に尽くしがたい凄惨なものです。
当時の人々は、現代日本を見てなにを思うのでしょうか。その念は尽きません。
私たちは平和を享受しています。その礎となったのは、先人です。現代人が想像も及ばない悲壮な覚悟と悲惨な現実を受け入れて、多くの人々が亡くなりました。
その記録と現実は、日本人のひとりひとりが認識してよい事象だと思います。
先人に対して多大なる敬意を表するとともに、現代の平和に至るまでにどれだけの犠牲と先人の魂がこもっているのかをあらためて認識したいと思いました。
ましてや、先人へ敬意を表すこと自体に右も左もあるわけがなく、ただ単に、ひとりの日本人として畏敬の念を禁じえません。
個人的には、多くの日本人が心に刻んでよい歴史であり、社会の構成員のひとりとして訪れておきたい場所だと思います。
Best wishes to everyone.