オレンジ色の日々に、はたしてお金はそんなに存在していたか
友人と話していて、「やっぱりそんなにお金っていらんよなぁ」という話になりました(子女への教育費は家庭の方針によって千差万別ですが)。
スーパーで新鮮な真鯛のお刺身を買って、家で漬けている糠漬けと、炊いたお米、野菜スープを食したわけです。
しめて1人あたり400円程度です。これでめちゃくちゃ美味しいわけです。
昼は焼肉です。ひとり300グラムぐらいの高めの和牛を食べても1人あたり3,000円もいかない。
楽しいし、美味しい。
大学の頃のように、里山近くの日陰に座り、他愛もないことを話すーー。
みなさん大学の頃って、お金の話そんなしてましたか?
私たちはそんなにお金について話してなかったです。
それよりも、彼女とのデートがどうとか、バイトがどうとか、旅行がどうとか、そんなオレンジ色の話をしていたはずです。
社会人になってから、いつからかオレンジ色から褐色に変わり、その濃淡の度合は強くなっていき、お金関連の話題が増えていったのではないでしょうか。
資本主義ですし。社会人になるということは、ある意味で既存の秩序だった社会システム(効率主義・利益主義的な側面)に本格的に入り込んでいく時期でもありますし。
でもこういうこと、何歳になっても頭の片隅に置いておいた方がいいと思うんですよね。いつしか本来の自分を忘れちゃうから。そういう社会システムで生きている中では。情報があふれる世の中では、特に。
お金は手段としては大事だと思います。ただし、今まで言い続けてきた通り「お金は、人生の選択肢を増やす手段」でしかないとやはり思います。
そのために、私も猛進した時期があって、そしてそうしてきたからこそ今があり、本当によかったと心から思います。
ただ、それはそれとして、その一方で、これはあくまで既に経済的自由を得たがゆえの高邁じみた視点かもしれないことを承知の上で述べるならば、
実態のないバーチャル気味な、どこかふわふわとした金融市場の数字よりも、実態のある土いじりやもっとリアルな世界の方にこそ、人生を豊かに生きるヒントがある気がしてならないのも事実です(もちろん、これもFIREしたからこそそう思う余裕ができただけかもしれません)。
モノが行き渡っている時代です。「5億円あったらなにをしますか」と問えば、「エアコンを買います」と真剣に答える人もいるぐらいです。それぐらい物的なものはあふれているわけです。
いつまでもお金お金の人生は、私個人がめざすベクトルとは異なるなぁと改めて思います。いま30代であればなおさら。
とはいえもちろん、「人生が有限であるという希少性に由来する時間コストへの正当な対価」としての金銭、つまり妥当な報酬水準については前段とは別にきちんと考えますけれども。
みなさまのオレンジ色の日々に、お金の存在感は今よりも薄かったでしょうか。どうでしょうか。