セミリタイア後に収入が減るとは限らない

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セミリタイア後、収入はどうなったか【扉が閉じても、別の扉が開く】

  • 「セミリタイアすると、給与収入分が純減する」
  • 「セミリタイアすると、(全体として)収入が減る」

というイメージがあるかもしれません。

1つ目はそう思っていませんでした。2つ目はそうなると想定していました。結果はどうなったでしょうか。

私がセミリタイア・FIREを決意する際に綴った記事の1つに、以下があります。

1億円到達よりセミリタイア優先。お金は求めだすとキリがない。
セミリタイアを決意した背景の1つに、やはり以下の考え方があります。 1億円到達よりセミリタイア優先。お金に対する欲求はキリがない。...

この記事で、セミリタイアを前にして以下のように綴っていました。

③「セミリタイア=給料が純減」とは決してならない

まず、そもそもセミリタイアする際に「会社員をしていた頃の給料がゼロになる」と考えがちかもしれませんが、そうではありません。

物事には表と裏の両面があり、表裏一体でもあります。

つまり、会社員をしていた頃の給料は確かに消滅しますが、その代わりなんらかの可能性も同時に眼前に広がるわけですね。

なぜなら、通勤していた時間、パソコンと向かい合っていた時間など、これら全てのリソース(時間)が生まれるからです。

その時間で以て、なんらかの付加価値を社会に創出することができれば、それはそのまま信用となり、ひいては昨今の信用経済における経済的価値を持つに至る可能性があります。

(中略)

そのような環境に身を置くだけでもチャンスは増大するという側面があります。

これはサラリーマンの片手間にできることではないので、経済的に給料分が月々純減になるということは決してないわけであります。

予想は現実になりました。セミリタイアしたからといって、収入は、それまで得ていた給与分の純減にはならないということです。それどころか、一時的だとは思いますが増えました。

「扉が閉じたと思っても、もう1つの扉が開いていた」ということは、人生においてよくあります。

「定説」「言説」「一般的な見解」というのは、そもそも一個人に当てはめるのは無理があります。人によるからです。やはり気にする必要はないと思います。

私は「好きなことは仕事にしない方がいい」とは思わないです。結局「人による」という当たり前の結論に帰着します。

この手の話は、そもそも仕事の定義から明確にしないと本質的な議論が成り立ちません。本記事では割愛しますが。

セミリタイア・FIRE後の収入

現在の収入は、一般的な区分としては、事業・労働・配当・譲渡などに類されるのでしょう。

農業や除雪などは、一般的には”労働”に属しますが、自分では「仕事」「労働」をしている感覚はありません。「興味のある活動に従事している」という感覚です。

ブログもそうです。私にとっては事業でも労働でもなく、ライフワークに従事している・自分が役に立てそうな分野で役に立とうとしているという感覚です。

拙著もそうです。7万部を超えて印税は時間コストの対価としてあれど、それだけの数の人によい影響を及ぼせていたらうれしい、という感覚です。

「自身のベクトルとは交わらない世界で生きていた時に、自分と同じベクトルで同じ世界に生きる人々にも向けた発信」が、弊ブログの出発点の1つだったと記憶しています。

  1. 毎朝の通勤にブログを読んで、心を奮い立たせているという方
  2. ブログを読んで、私ももう少し頑張ってみようという方
  3. 投資や支出の最適化によって、別の生き方が出来ることを知れたという方

これらお声はすべて、ブログの強烈なモチベーションになっていました。

同様に、同じ境遇で苦しむ人は、必ずどこかにいるはずです。自分も苦しむ中で、自分なりに解決策・緩和策を考案できれば、付加価値が宿ります。

だれかになんらかの形で役に立った分、収入・信用は後から付いてくるものだと思います。

「通説」は壊すためにある

私の例はあくまで一例に過ぎず、それ以上でも以下でもありません。

しかしいずれにしても、少なくとも「セミリタイアしたからと言って、会社員時代に得ていた給与所得がそのまま純減になるわけではない」ということです。

もっと言うと、セミリタイアしたからと言って、収入が減るとはかぎらないということです。

めざされている方は、頭の片隅に置いてもよいと思います。退職によって時間的な余白が生まれれば、多方面に着想は得やすくなります。

セミリタイアに向けて保守的なシミュレーションも時に必要ですが、思いきることもひとつと思います。

世の中には、よく「通説」なるものが存在しますよね。あまり気にする必要はないと思います。

心理的な障壁になる通説があれば「ほなそうでないことを自分が証明したらええんやなぁ」と考えればよいです。私はそう考えてきました。

それは後に続く人々への、道標にも、可能性を示すことにも、なるはずです。

Best wishes to everyone.

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この時の見立ては、まさに現実化しています。

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