我、父親 「二番手の男」が感じるおもしろさ

我、父親。二番目の男。

子を持って感じること。それは、「子どもは明らかに親族間に序列を設けている」ということです。

我が家の不動のトップは母(妻)。次いで父(私)または祖母、そして祖父と続きます。そう、私は家庭内においていわば「二番手の男」。

一番手である妻が不在で私がワンオペの時は、二番手の私にべったりと甘えてくれます。しかし一番手が帰宅すると、一番手の元へ舞い戻ります。笑

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いやいやちょいちょ~~い

と思う時もありますが笑、これもまた得難い経験な気がしています。

というのも、お世話をして手をかければかけるほど、子どもはしっかりと懐いてくれるからです。まるで鏡のように、注いだ愛情の分だけストレートに反応が返ってきます。

子どもは子どもで、「自分が生存するために誰が必要か、誰が一番お世話をしてくれるか」を、無意識下で本能的かつ冷徹に判断しているのかもしれません。その生存戦略はむしろ感心するほど。

最近は謝意を示す「ありがとう」を教えているのですが、「ありがとうは?」と聞くと、即座にサクッと「あっとぉ」と返してくるのがまたおもしろい。「なんちゅう投げやりな感謝やねん(笑)」と。

さらに、なにか気に入らない時は、大人顔負けの「いかにも不満げな表情」を作るふてぶてしさまで見せます。

世の父は、往々にしてこの「二番手の悲哀」を味わう時期があるのではないでしょうか。しかし、二番手だからといって愛情が薄いとはかぎらず、向き合えば返報的とも言える反応を感じます。

純真な一個体の人間と接することは、奥深いおもしろさをもたらしてくれるように思います。

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