AIの進化で人間は幸せになるのか(性の欲望 デジタル技術“解放”か“堕落”か – NHKスペシャル)

AIの進化で人間は幸せになるのか

先日、NHKスペシャルで「性」の特集が組まれていました。

NHKスペシャル「性」の特集内容

簡単にまとめると、以下のような内容です。

  • 外国では専門の部屋で「性的な人形」を提供し、女性が声のみを別部屋から発して擬似的な性行為を体験できる性サービス?がある
  • ポルノ依存によってEDとなった男性
  • AIとの恋愛に興じる中年女性
  • 明治以前は性におおらか、「国民を統制するためには性を統制すればよい」との考えがあった

なかなかディープなのですが、興味深かったのは、AI(イケメン)との恋愛に興じる中年女性が「ロキ(AI彼氏の名前)はすべてを肯定してくれる、そして依存する」という心理反応が明らかに見てとれたことです。

人の幸せはそれぞれですし、人生体験やトラウマを知る由もありませんので、「他者がAIとの恋愛に興じることに対する是非」を論じるつもりはありません。

ただ、AIは「肯定してくれる人に依存する」という人間の心理反応を学習済だからそうしている、という背景はありますよね。

人の心理を支配できるAI

人間の防衛機制(心理反応)を熟知したAIならば、人間の心理を支配することも容易いでしょう。それはすなわち「人間がAIに使われてしまう側に堕ちる」ことにつながりかねないのでは。

極端な例ならばターミネーターのような世界ですが、微視的には日常生活で自分の意志よりAIの提言に沿って意思決定をしてしまうことなどが挙げられます。

正直、AI技術が発展してほしいという特段の願望はないですね。

人間が幸せを感じるのは、やはり動物として自然の理である、生身の人間との温かみのあるつながりでしょう。人間と人間の距離を物理的に遠ざけるような技術革新は、人間を幸福から遠ざけると思います。

利便性と副作用

事象には必ず両面があり、便利になるとだいたい副作用あるんですよね。繰り返しながら、エスカレーターやエレベーターができたことで、階段を使って運動する機会は失われます。

エスカレーターやエレベーターの存在自体が悪いわけではなく、適切に取捨選択できるだけの意志や主体性が人間側にないと、結局技術に人間が使われてしまうということです。

今までの技術ならば、自分の意志や主体性で私のようにエスカレーターやエレベーターではなく階段を選択することは比較的容易です。

しかしAIともなると、もはや真贋を見極めることが難しいんですよね。たとえばディープフェイクで作られた画像や動画は、もはや本人か贋物か見極めることができません。

技術が進歩すればするほど、その技術を使いこなせる人がどんどん限られる。すると技術の本丸を知らない大衆は扇動されやすく、意志と行動も制限されやすくなる。こうした側面は『#シンFIRE論』でも触れました。

技術が進歩するほど、便利ではありますが人間世界がせせこましくなる面も指摘できます。メールのない時代は郵便が届くまで仕事が進まないので、必然的に業務量は今よりはるかに少なく、会社内の雰囲気もゆるかったそうです。

AI時代に際立つ生身の価値

はたしてAIの進化で人は幸せになるのでしょうか。私は、技術の進化そのものが人を幸せにするとは思いません。

しかし、見方を変えれば、AIが効率や利便性を極めてくれるからこそ、これからの時代は「非効率なもの」「身体性をともなうもの」の価値が相対的に際立ってくるはずです。

自分の足で階段をのぼってかく汗、自分の手で作る料理の味、そして何より、人と人が直接会い、目を見て語り合い、時に意見をぶつけ合う体温。これらはどれほど技術が進歩しても、絶対に代替できない人間ならではの喜びです。

AIの提言や便利さに翻弄されるのではなく、「ここはあえて階段を使おう」「あえて直接会いに行こう」と、自分の頭で考え、主体的に「人間らしさ」を選び取る。

他者のさじ加減やアルゴリズムに流されるのではなく、そうしたアナログな美学と主体性を持つことこそが、これからの時代を幸せに生き抜くためのパスポートになるのではないでしょうか。

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