「自分の人生を今後どうしていきたいのか」という究極の命題

「自分の人生を今後どうしていきたいのか」
この問いから逃げないこと――それが、人生を悔いなく生きる第一歩だと思っています。
この究極の命題は、毎週、いや毎日考えてもよいことだと思っています。
子どもがいても、子どもは子どもの人生。自分は自分の人生です。生まれてくるとき、母はいます。しかし自分が身罷るとき、およそ既に世を去っています。
いずれは母という絶対的な味方も、この世を去る。配偶者や子どもがいようが、いつかは自分で人生の幕を引くことになります。
幕引きの際、人生を振り返り、何を思い、旅立つのか。この孤独と恐怖に似た感情は、近くを去来します。
けれども、恐怖から目をそらさずに見つめることで、今を生きる力が湧いてくるのだと思います。
身近な誰かを亡くした人や、大病に侵された人は、生き方が一変すると言います。生に期限ありきことを強烈に感じるからなのでしょう。生あるうちに何をするのか、静かに考えるようになるからでしょう。
母が元気なうちにいろんな場所に行けてよかったです。齢70も近くなれば、股関節を痛めて満足に歩けない人も増えてくる年代です。
自分を育ててくれた人が生きているうちに、恩返しをする時間をゆっくり持てる。
ただそれだけで、FIREしてよかったと思う。ただそれだけで。
— 穂高 唯希|Yuiki Hotaka (@FREETONSHA) October 17, 2022
FIRE後、母と幾度も旅行にいきました。今でもよい思い出です。
私が大学生のとき、当時東大生だった中高の友人と渋谷でばったり会い、こんな言葉を交わしました。
「お~久しぶりやん!最近どない?」
「おぉ、こんどドイツ行くねん。帰国したら会おうや! 話したいことあるし」
友人はそう言ったきり、海外で亡くなりました。

いま自分がやっていることは、本当に今やらないといけないことなのか?
明日が来なくとも、本当に今やることなのか?
会いたい人は? やりたいことは?
「自分の人生をどうしていきたいのか」という究極の命題から、逃げるな。
そう自己を叱咤していくことは、よりよき一歩につながるように思います。