見ることも創ることも。人生を奏でるように。
以前Netflixで何を見ようか選んでいたときに思いました。
なぜ人は“見る”ことに安らぎを感じ、“つくる”ことに熱狂するのか。
私の場合、「コンテンツをつくる」とは「ブログを書く」ということになります。
コンテンツを見るということは、情報を受け取る、つまり物事を摂取します。
コンテンツを作るということは、情報を発信する、つまり物事を発出します。
この発出という行為自体が、ゼロからイチに積み重ねていく作業の連続であり、その道中で自然と思考が整理され、まるで音を奏でるかのように文字を紡いでいくのです(この創作活動は精神によい影響をおよぼしていると思います)。
私のブログ記事のほとんど(全部かもしれません)は、盤上で指を動かしているうちに記事の方向性が自然と定まったり、ときには定まらないままむすびを迎えます。
「まず見出しや起承転結を作って、そこから肉付け」のようなことはしたことがありません。
それはまるで予定調和のようで、あたかも決められたレシピのとおりにつくられた料理のようです。私はやはり、何も決まっていないところから自由に興じることが好きなのかもしれません。
でないと、およそ10年間も毎日更新しないですものね。

同様に、自炊でもレシピを検索することもありますが、あくまでアレンジを加えたり、調味料はなんとなくピンと来た組み合わせにします。
たとえば、この前ゆで鶏のタレは
- 青唐辛子を刻んだもの
- ポン酢
- ナンプラー
- 味噌
を混ぜてつくったのですが、これが悶えるおいしさ。
先般、ブログに不具合が生じてCSS(サイトのレイアウトなどを決める一種のプログラミングコード)をいじっていたときも、あくまで一つひとつ自分で試行錯誤しながらなんとかやり終えました(正直かなり苦闘しました)。
自分で主体的に関与してこそ、みずから人生を奏でたのしむことができるのだと思います。
そして、この記事を読んで「少し考えてみようかな」と思ったその瞬間、それもまた立派な“創作”のはじまりなのだと思います。アクションひとつで、コンテンツ消費→能動的体験に昇華できますね。
仕事、家事、育児、料理――(★)。
これら(★)は人生でどちらかといえば「やらなければいけないこと」とも言えるかもしれませんが、「人生の醍醐味を味わううえで欠かせないもの」とも言えるかと思います。
そしてこれら(★)は、自分が主体的に参画することで何倍もたのしく興じることができる素晴らしい活動だと思うのです。
私のブログ記事のほとんどは、盤上で指を動かしているうちに記事の方向性が自然と定まったり、ときには定まらないままむすびを迎えます。
今回は、どうやら後者のようですね(笑)