【マインド格差】できない理由を挙げて愚痴るのか、現状を変えようと猛然と邁進するのか

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できない理由を挙げて愚痴るのか、現状を変えようと猛然と邁進するのか

先日友人と会っていて、かような話になりました。

ある一側面においては、人は以下2つのタイプに大別できる部分はあるよね、と。

  1. 現状を嘆きつつも、できない理由を挙げて愚痴り続ける人
  2. 現状を変えようと、粛々と情報を集め方策を練り、行動し続ける人

私の周囲には①のタイプの人はほぼいないと思いますが、市井には①の状態を自身で客観的に気づけていないケースもあるかと思います(もちろん、人には他人には見えない事情もあると思いますので、あくまで見えている部分に基づいた判断にすぎません)。

なかなか難儀かと思います。結局現状を愚痴り、できない理由を並べ立て、その場にとどまっていれば、その後の将来に待ち受けるのは相も変わらぬ状況となる可能性は高いはずです。

しからば②のように、現状を変えようと情報を集め、方策を練り、行動を起こすしかありません。

マインド格差

ただし類は友を呼ぶという言葉があるように、①の人には自然に①のような人が集まり、②の人には自然と②のような人が集まります。

すると、①の人は①の人同士で傷をなめ合うことに終始し、短期的に癒されて満足した錯覚を糧に明日を生き、中長期に資する行動を起こさぬまま沼にはまったままです。ますます現状に固着することになるはずです。

対して②の人はともに刺激を与えあい、高め合い、ますます前向きに人生を歩むことになるはずです。

世間では経済格差という言葉がありますが、もっと深い格差として、以上のようなマインド格差というものがあると思います。そしてこのマインド格差は「類は友を呼ぶ」という人間の習性によって各々が交わりづらく、格差が開いていく力学が働きやすいと思います。

先日、相談会でもお答えしたのですが、環境はやはり大事で、たとえば良好な環境の学校に入る利点の最たるものは、成績のよしあしよりも「良識ある友人に囲まれる」ことだと思います。

ましてや友人にかぎらず身近な存在が①の人であれば、引力が距離の2乗に反比例する物理法則よろしく、どうしてもその引力が強く、本来②の人であってもいつしか①の沼に引きずり込まれることもある大いにあり得るかと思います。

したがって人生の要所を押さえるには、付き合う相手を慎重に選ぶことに尽きると思います。そして子女の環境を選ぶ際にも、その観点が重要になってくると認識しています。

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