サラリーマンを続けるかは、趣味趣向のちがいとなる一例
先日、経済的自由を得つつ会社員を続けている、気さくで優しくてたのしい方と以下のようなやり取りがありました。
「サラリーマンを20年続けると、億単位のダイナミックな案件に関わることもできる。長く続けたからこその経験ができる(もっと柔らかい言い回しで優しい感じで)」。
たまに誤解?されるのですが、どなたかのサラリーマンという生き方を否定する気は毛頭なく、単に私は別の生き方をしたかった、というだけなのですよね。
そして、サラリーマンを20年経験すれば、20年経験した者にしかわからないことがあると思います。
これは人生一度きりで2通りの人生を同時に歩むことはできないので、FIREすればサラリーマン生活を手放すことになりますし、逆にサラリーマンを続ければFIRE生活を手放すことになります。
したがって、勤続10年以下の者に、勤続20年の感覚はわからない。これはまったくもって正しいとむしろ同感いたします。
他方、「億単位のダイナミックな案件に関わること」に魅力を感じるかと言えば、私の場合は否でした。これは単に「サッカーが好きな人もいれば野球が好きな人もいる」、そのような趣味趣向の違いなのだろうと思います。
私も三菱サラリーマン時代、億単位の案件に関わる機会がありましたが、それでいくら利益が出ても、心惹かれるものはありませんでした。
たとえ儲かっても、それはあくまで組織の一員として既存の仕組みの中で得た成果という塩梅であって、看板も地盤もない中で自身がイチから作り上げたものではなく、私自身は成果が直接自分の人生を変える何かを感じませんでした。
おそらくビジネスというもの自体にそんなに興味がないんだと思います。
もちろん、これは私から見た視点に過ぎず、実際にやった人からすると「いやいや、そんなことじゃないんだよ。まだまだ見えてないことがある」と感じるかもしれません。
いずれにしても、「組織で大きな案件に関わる」ということと比べ物にならないぐらい私は自由な生活に魅力を感じるタイプ、という整理になるのだろうと思います。
人には色々なタイプがあります。心躍る対象が「自由」なのか、「大型案件」なのか、「仲間と共に目標に向かうこと」なのか、それは千差万別、十人十色でよいと思います。
このようなそれぞれの趣味趣向に合わせて生き方を選ぶことができる。それが経済的自由の醍醐味でしょう。
経済的自由とは、「どの生き方が正しいか」を選ぶ自由ではなく、「自分に合う生き方」を選べる自由なのだと思います。