悩みが軽くなるであろう、仏教の教え
人間この生きもの、生きていれば悩みは尽きず、欲深い生きものであると思います。
以下にご紹介する「仏教の教え」に触れることで、ふっと気持ちが軽くなるのではないでしょうか。
仏教の教え:「人生は苦行の連続」という前提
仏教系の学校に通っていた友人がいます。教わったことを記します。
まず、仏教の教えは以下が骨子としてあるそうです。
- 人間の「悩み」や「欲」は尽きない
- 人生はしんどくて当たり前、苦行の連続
人生は苦行の連続である
例:早起きがつらい、人間関係がしんどい、恋愛が成就しない、子育てがうまくいかない――。
そうした苦行の中でも、「ささやかな幸せ」がある
例:おいしいものを食べた。家族や恋人と時を過ごせた。尊敬する人に認められた。
そうした「ささやかな幸せ」の尊さを学んで、大事にしていく
宗派によって細かな違いはあれど、およその教えは以上のような塩梅だそうです。
つまり、この世は苦しくて当たり前。でもそのなかでたのしかったことや、よかったことがある。それらに目を向けることで、今世の修行がやり遂げられると。
仏教の教えで「気持ちが軽くなる」原理
以上のことを認識すると、なにか悩みがあっても、すこしラクになりませんか。
なぜなら、「この世は苦しくて当たり前」という前提を置くと、
なにかしんどいことがあっても、
必要以上に自分を責めないし、
必要以上に深刻に考えなくてよいと思えるし、
思い通りに行かなくてあたりまえと思えるからです。
さらには、たのしいことが起きたらラッキーと思えるからです。
目の前に起きたことは変えられないわけで、目前の事象のとらえかたでその後の結果や心持ちは一変しますよね。
拙著『#シンFIRE論』で「あるものに感謝することが大切」といった趣旨のことを具体例を交えて記しましたが、それにも通底すると思います。
「手に入らないから、大切にするのよ」
仏教の教えでは、「現世を終えて極楽浄土に行くと、欲しいものは全て手に入り満たされるが、逆につまらなくなる。それでまたこの世に戻ってくる」と。
母が言っていました。「手に入らないからいいのよ、簡単に手に入ったらつまらないし、大切にしないかもしれないでしょう」
まとめ
- 人間の「悩み」や「欲」は尽きない
- 人生はしんどくて当たり前、苦行の連続であるが、ささやかな幸せがある。その尊さを学び、大事にする
「この世は苦しくて当たり前」という前提を置くと、なにかしんどいことがあっても、
- 必要以上に自分を責めないし、
- 必要以上に深刻に考えなくてよいと思えるし、
- 思い通りに行かなくてあたりまえと思える、たのしいことが起きたらラッキーと思える
以上の文章で伝わりますでしょうか。
これ実際気持ちが軽くなったことがあるので、しんどいことがあったら以上のことを思い出すのも一案かと思います。
知は力なり、とでも言えましょうか。
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