バズりたければ夢を語ればいい、しかし大切なのは「自分の納得」
これまで7年ほどブログやSNSで情報発信をしてきました。長くやっていれば、名を上げる時期もあれば、バズることもあります。
実際に今までSNSに投稿してきて感じる「バズりやすい情報発信」の傾向と共通点はおおむね以下のように言えます。
- 断定する
- 夢を語る、見せる
- 複雑な説明を避ける
- エンタメ性を持たせる
とくに②・③が影響として大きいと思います。もちろんそんな意識で情報発信をしてきたわけではありません。ただ、情報発信をするなかで「わかりやすく夢を見させる」内容は人々の耳目を集めやすいという体感を得ました。
人々の射幸心(努力や苦労をすることなく、利益や成功だけを願う。労せずに利得を得ようとする欲心)をくすぐるからでしょう。
経時的な背景
SNSの登場によって、情報の発信者と受け手によって以下のような変化がみられます。
以前
- 受け手:良質な情報がほしい
- 発信者:良質な情報を提供したい
SNS隆盛後
- 受け手:見たい情報を見たい()
→ 例:わかりやすい、連想しやすい、楽しい、美しい - 発信者:受け手が見たいものを見せたい
→ 例:複雑な説明を避ける、エンタメ性を持たせる、夢を語る
映画『流浪の月』で私が最も印象に残ったセリフは「人は自分の見たいようにしか見ないんだね」でした
要すれば、現在のインターネット経済は、「多くの視聴者や読者を獲得すれば、そのぶん広告収入が多く得られる」ので、人々が求める情報を発信したい(≒ ポピュリズム)発信者が増えやすくなります。つまり、発信者の人気取りが横行します。
また、インターネットで検索すると即座に答えが得られる現代では、過程や本質が軽視されがちで、答えや結論だけを簡便に知りたい層が増えやすくなるでしょう。
(このように、収益構造を見ると背景の一端が垣間見えることがあります。とくに資本主義では、お金がひとつの大きな価値尺度ですから、収益構造によって人々の行動原理の一面が見えやすいですよね)
さらにありていに言えば、いわゆる知識層は「わかりやすく射幸心をあおるような情報」に対して理性的に拒否感を持つでしょうから、「いちいち反応しない傍観力」があると見受けられます。しかしそうした知識層が全体に占める割合として多くなければ、上の青字のような現象が起きますよね。
まとめ
もし、ただただ単純に「フォロワー」や「いいね」という数字を増やしたいなら、以下のことを意識すればよいと思います。
- 断定する
- 夢を語る、見せる
- 複雑な説明を避ける
- エンタメ性を持たせる
具体的には、たとえば「これさえすれば、●●できる!」といった論理展開です。
ただし、如才なきことながら、そうした手法でお金や注目を得ても「割れ鍋に綴じ蓋」となる可能性も。
補足:「割れ鍋に綴じ蓋」とは
破損した鍋にも、それ相応の蓋があること。
どんな人にも、それにふさわしい伴侶があることのたとえ。また、両者が似通った者どうしであることのたとえ。
いわば、同じレベルの人には同じレベルの人々が集まるということ。
昨今は「映え」という言葉もあるように、ややもすると日本人は人の目を気にしがちですが、人生は「自分が納得できるか」であって、「他人にどう評価されるか」はどうでもよいことだと思います(むろん、だからといって利己的に他人に迷惑をかけてよいという意味ではありません)。
もちろん私も、ブログのアクセス数が多くて、出版した本が売れて、お金の相談会に人が集ってくださる――。これら事実は本当にありがたいことです。ただしそれらの数字と自分の人生における意思決定は別です。
なぜなら、自分が、自分の人生に対して「よかった」「悔いがなかった」「やり切った」と思えるかが重要であって、「他人にどう評価されたか」は関係ないからです。
それはすなわち、「だからこそ私は社会的な名声や肩書といった他者からの評価尺度に後ろ髪をひかれることなく、FIREを選択し、自由を獲得した」という行動原理の説明にもなると思います。
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