「貸し」があることで、居直りに似た考えが備わる
まず最初に「貸し」とありますが、人生や人間関係を冷淡に「貸し借り」という損得勘定で考えるニュアンスではないことを申し添えておきます。
さて、著名な棋士である故・米長邦雄さんの著書『人間における勝負の研究』で、以下のような一節があります。
太平洋戦争中、私の父は貴金属や金目のものをすべて政府に提出し、戦後の農地改革では田畑を取り上げられてしまし、没落地主になってしまったわけです。
しかし、私の考えでは、とにかく米長家は、日本国に貸しがある。考えようによっては、これほどの強みはないわけです。
だから、私には、日本に住んでいるかぎり、ひどい目に逢うことは絶対にないという、自信というより居直りに似た考えがまず最初にあるわけです。
これは非常に共感するものがあります。要は、だれかに貸し持つ、つまりは換言すれば
- だれかになにかを善意や無償であたえる存在であってきたならば、自信というか居直りに似た考えを持てる
とでも言えましょうか。
たとえば、つらいときに寄り添い、貧しいときには魚の釣り方を教え、満足に動けない時期なら家事などすべて担う。そうして相手になにかを善意で無償であたえる存在であってきたならば、「私はこういうことをやりきってきた」と自分自身にある種の自負が生まれます。
したがって引用部にあるような「居直りに似た考え」がまず最初に持てる、ということだと思います(もちろんだからといって傲慢になってはいけませんが)。
人間には良心が備わっている以上、相手にひたすら借りを負う状況は、やはりどこかで申し訳なさを感じ、誇りや精神的安寧を欠くかと思います。
逆に、相手によき影響をあたえてきた自負を得て、この「居直りに似た考えを持てる」状況を自分で作り出したならば、精神的な肯定感と泰然さを生むものと思います。
ひいては日々の言動に影響をあたえ、その積み重ねで人生と人格が形成されていくとさえ言えるかもしれません。
したがってやはり
- 日常で小さき善を積み重ねていく
- 相手によき影響をあたえられる人間でいられるようにみずからを育む
そうした意識や決意を持つことで、彩り豊かな人生を歩んでいける確度は着実に高まるのだと思います。
もちろん、その途上で品格に欠ける人に遭遇することもあるでしょう。そのような人にはいくら善意で接しても響かないどころか、品位をそこなう人と接すれば着実に人生の彩りは失われると断言できます。しかしFIREはここでも威力を発揮すると思います。人間関係を主体的に組み立てやすいからです。
まとめ
以下のようにまとめたいと思います。
- だれかになにかを善意や無償であたえる存在であってきたならば、自信というか居直りに似た考えが備わりやすい
- 相手によき影響をあたえてきた自負を得て、この「居直りに似た考えを持てる」状況を自分で作り出したならば、肯定感と泰然さを生むこともある
- そして日々の言動に影響をあたえ、その積み重ねで人生と人格が形成されていく
そのためには、以下の意識を備えておく。
- 日常で小さき善を積み重ねていく
- 相手によき影響をあたえられる人間でいられるようにみずからを育む
以上のことをあらためて刻みたい。そんな感想を持つに至ります。
もちろん、現実にはそのとおりにいかないことも多々あるでしょうけども。
関連記事
将棋から派生した言葉、説得的ですね。