ドミノ・ピザ vs 超一流ピザ職人
弊ブログの読者の方々は、テレビをあまり見ない方もいらっしゃるかもしれません。
私も一般的な水準と比べるとあまり見るほうではないかもしれませんが、ちょくちょく見ています。
先日、ジョブチューンという番組で、「ドミノ・ピザ vs 超一流ピザ職人」と題して、チェーン店の味・質をプロが判定されていました。
上の記事で以前述べたように、この番組の真骨頂は、「この料理が美味しいのね」という単線的な学びではなく、
「本気 vs 本気」
というぶつかり合いなんですよね。
ドミノ・ピザ商品開発者・大山さんは、艱難辛苦と多大な努力を経て、そしてデリバリーという制約もあるなかで試行錯誤を重ねて商品を開発されているのだと推察します。
だからこそ、ピザ職人たちもその労力と努力に敬意と畏敬、共感を表明し、ときに辛辣に、ときに提言をする。大山さんも素直に平身低頭アドバイスを求め、ピザ職人もそれに応える。
その本気度が織り成す美しさが素敵だなと思いました(もちろん番組の特性上、大人の事情で広告の対価として金銭や便宜の往来がある可能性は念頭に置きつつ)。
人生の要所を押さえたくば、本気であれ
一度きりの人生のなかで、本気であることを大事にしています。
私の処女作は『本気でFIREをめざす人のための資産形成入門』でしたし、好きな言葉のひとつは「精神一到何事か成らざらん」。
だれかに何気ない質問をされたら、「めっちゃ真剣に答えるやん(笑)」とつっこまれることもあります。それはやはり一つひとつの質問に本気で答えたいからです。
同様に、なにかを手に入れたければ、本気で手に入れようとします。留学先での言語習得、経済的自由、FIRE、書籍の執筆がそうであったように。そして現在のお金の相談会、テニスやピラティスなど諸事がそうであるように。
「人生は妥協の連続」と聞いたことがありますが、かなり不思議な文言ですよね。そんな文言を受容すること自体が妥協へ半歩踏み入れていますし、そんな人生送りたくないです。妥協の産物は、意思なき決定と苦痛と後悔。
一度きりの人生で、絶対に悔いを残したくないですし、大事にしたいと思うものは絶対に大事にしたいし、少しでも手を抜いてあとで後悔したくない。ある意味、価値を感じるものに対しては、私は常に真剣で、常に本気なのです。
それは一般的にはやばきちで、鬼気迫るものかもしれません。いやいやそれでいいんですよ。一度きりの人生なので、ちょっと気が振れているぐらい鬼気迫る本気具合があっていいんですよ。むしろそうであってしかるべきだと思っています。
でないと、人生の要所で急によりよい選択なんてできないでしょう。普段へらへらおちゃらけていても、人生の要所要所は絶対に押さえる必要があるのです。そういう平衡感覚を日常から保持しておく。
たとえそのときは刹那的で、短絡的であったとしてもです。そのときそのときを本気で真剣に生きていれば、必然的に悔いなき人生になるはずです。
なぜそんなことを大仰に言えるかというと、私自身が体現しているという実感があるからです。つまりは、一例としての開陳であります。
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