よりよき自分と人生を紡ぐために、意識したいこと
- 行動
- 内省
- 客観視
これをひたすら繰り返すことで、よりよき自分と人生が紡がれていくのだと思います。そして、自分の至らなさに正面から向き合うこと。
行動
何事も行動しなければ始まらないので、まずは行動。すると事が動く。しかし事態が良い方向に転ぶかどうかはわからない。
たとえば反射的に発言をする。しかしその発言に対して「至らぬ発言であった」と後悔することもある。しかしそれはもう口から出てしまっている。
内省
ではどうするか。のちに振り返って自分の言動を省みる。
そうした内省の結果、反省すべきは反省し、改善すべきは改善し、意識すべきは意識する。
もちろん、一朝一夕によりよき自分と言動が形成されるわけではなく、そんな簡単なことではない。
しかしこの修練の繰り返しが、よりよき自分と人生を紡ぐために必須の作業であり、自分の至らなさに正面から根気強く向き合うこと。目を背けて安住してはならない。
客観視
客観視とは、自分を斜め上から見下ろす「もうひとりの自分」を形成しておくということ。
「いま自分はこういう状態で、この状況に喜怒哀楽を感じている」という感情面や行動を客観的に観察するということ。
自分の言動を常に客観視できていれば、至らぬ言動を抑制できることもある。
したがって、客観視もやはり必要な作業。内省もいわば客観視の一種。
ましてや年齢を重ねれば、諭してくれる人も減っていく。自分で気づくためにも客観視は肝要。
まとめ
人間、完璧ではありませんから、どこでいつなんどき、未熟で至らぬ自分が顔を出すのかわかりません。
そんななか、よりよき自分と人生を紡ぐには、以下3つを繰り返すことが必要だと感じています。
- 行動
まずはやってみる - 内省
自分の言動を省みる、反省すべきを反省する - 客観視
「もうひとりの自分」目線で、現在の状態を知る
そしてこの手の、至らぬ自分と向き合うことにもなる作業は、忍耐と根気も必要。だれかに助言を仰ぐ、それもひとつ。しかしそれは時に甘えにもなる。望ましくは、みずから内的に対処する強さを備えるということ。
人生には波があり、謳歌する時期もあれば、修練・内省が必要な時期もある。
飛躍するにはしゃがむことが必要なように、「謳歌する時期や精神的な成熟を迎えるには、修練・内省が必要な時期もある」とこれまで幾度となく感じています。
適時、そのときの自分と真剣に向き合う。真剣に人と向き合い、真剣に人生をたのしみ、そして真剣に落ち込むということ。
そんな感じで、未熟な35歳男児は以上のようなことを自分に対して最近感じるのであります。
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