決断せねばならない時、どのような基準で判断しているか

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決断せねばならない時、どのような基準で決断しているか

以下ご質問に回答しています。

ご質問

題名: 以前は、ありがとうございました

メッセージ本文:
お世話になっております。

以前 【個別株リスク】たばこ株暴落による含み損で不安、どうすれば良いですか  という事で相談していただいたものです。

【個別株リスク】たばこ株暴落による含み損で不安、どうすれば良いですか
【個別株リスク顕在化】たばこ株のフィリップモリス(PM)が大暴落で不安。どうすれば良いか ご質問 三菱サラリーマン様 ...

その節は、ありがとうございました。あれから、5年ほどで1000万程だった資産が3200万程になり「r>g」という資本主義をひしひしと感じております。

その間にも、持っていたワンルームマンション騙されたに近い状況で買っていたことに気づき、弁護士を通じ裁判で勝訴したりと色々あり何もしなければもう少し増やせていたなと後悔しています。

何もしないという事の難しさ 待つのも相場ということを実感いたしました。

紆余曲折ありましたが、資産を増やすことができています。というのも、コアはあくまで(一般に個別株よりは)ETFという言葉を信じ、IVV、QQQといったETFに切り替えることが出来たことだと考えております。その節は、ありがとうございます。

今回の相談としては私自身、この度結婚をしたいと思う女性と出会いましたが 現場仕事の為転勤が多く、同棲・結婚の機会がないまま2年程たったころ、父が今年の7月に癌が発覚し、余命幾何もないと宣告され、地元に戻りたい心がある一方、給料が低いなど不安点があり、3000万円があるから大丈夫という気持ちなど、様々な気持ちがごちゃまぜになり疲弊しています。

穂高さんは、決断せねばならない時、どのような基準を設けて判断されていますか? 教えていただけると幸いです。

2018年にご質問に回答した件ですね、覚えています。古くからブログをご覧いただきありがとうございます。

「決断せねばならないとき、どのような基準を設けているか」というご質問ですが、私の場合は完全に以下です。

  • 1度きりの人生で、後悔しないかどうか
    ― 周りに流されていないか
    ― 自分の気持ちに素直になれているか
  • やるかやらないか迷ったら、やる
  • 守りに入らず、攻める

悔いなき選択をするために

決断するということは「なんらかの可能性を手放して、なんらかの可能性を選び取る」ということですね。よって、すべてを得ることは難しいですね。

私なんかは欲張りで、すべてを得ようとしがちです(笑)。人生1度きりなので、欲を言えばすべてを得たくて、すべてを体験したくて、すべてを見聞したくて、すべてに触れたいです。

しかし体は1つなので限界があります。であれば、1度きりの人生でいかに悔いなく過ごすかという点に帰着するのです。そうやってまずは人生全体を見渡して決断しようとします。

補足:悔いなき人生を送るための、社会通念との距離

社会通念はいったん脇に置いて、素直な気持ちを探ります。

社会通念とはその名の通り、文明化・都市化された後になって為政と統治に都合よく整えられた土壌のうえに大衆で形成された認識が乗っかったような側面がみられます。

往々にして個の幸福ではなく社会的な概念です。したがって社会通念に寄りすぎると個は犠牲になりがちです。このあたりはバランスが必要かと思います。

自分の素直な気持ちを大切にする

あくまで私ならば、(文面のみから状況を拝察するかぎりでは)即座に仕事をやめてその女性と同棲し、父に会いに地元に戻ります。それが素直な気持ちならば。

健康であればお金なんてどうにでもなると考えます。最悪の場合でも、日本では福祉が制度上は整っています。

やるかやらないで迷ったらやる。守りに入るより攻める。

そして「どのような結果になろうと悔いはない」と思えるまで考え抜けば、結果がどうあれ受け入れやすくなります。自分で主体的に決断したならばなおのこと。

  • 1度きりの人生で、後悔しないかどうか

決断せねばならないとき、大元の判断基準とするのはこの観点に尽きます。

「やらずの後悔」、最期まで尾を引く

年配の方々は口をそろえてこう言います。

年配の方々

やった後悔は後味悪くない
しかしやらなかった後悔はずっと後味悪い

失敗をおそれてやめるのか、失敗するかもしれないけどやってみたいと思えるのか。どちらでしょうか。

人生で攻めつづけた「山田羽仁男」

人生短し、やってみたいと思えたら即座にやる。三島由紀夫『命売ります』をぜひ読んでみてください。

主人公「山田羽仁男」の生き方は、とある事情で捨て身で人生を攻めているからこそさまざまなドラマが起こり、魅せられるのです。

最近関西に帰ったとき、旧友が「穂高といえば常に攻めてる。攻めの穂高」と言っていました(攻めすぎるのも微妙ですが)

FIRE後、望むものを得て、守りに入る時期もありました。しかし攻めてるほうがより躍動でき、悔いなど残りようもありません。

決断したあと

そしてひとたび決断したならば、その決断が正しかったと思えるような日々を過ごすのみであります。

そして決断のよしあしは、「決断したときに決まるのではなく、決断したあとにどのように日々を過ごすか」で決まるものと思います。

回答になっていましたら幸いです。

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