映画『ゴジラ-1.0』から見いだせる、人生で大切な「主体性」

映画『ゴジラ-1.0』公式ページより
話題作、映画『ゴジラ-1.0』を見てきました。
ハリウッドに荒らされる「ゴジラ」、本家のプライドを見せる
『シン・ゴジラ』対比265%の超ヒットだそうで、たしかにおもしろかったです。
1954年に登場したゴジラの70周年記念作品、日本で製作された実写版ゴジラの30作品目となる最新作。
山崎監督は「大分、ハリウッドに荒らされてますからね、ゴジラ。
フロムジャパンの力を見せつけてきますよ」と意気込みつつ「アメリカの人たちの反応が楽しみ。本家ですから堂々と行ってこようと思います」
ゴジラはいまや海外作のほうが作品数が多く、山崎監督が「荒らされてます」というのも納得。本家としての誇りがうかがえる監督コメント、素敵です。
本作から感じる「主体性」
さて、本作からは、以下のような主題を感じられます。
- 「自分が下した決断は自分で落とし前をつける」という主体性の大切さ
私が近著『#シンFIRE論』で記した主題でもある「主体性」の大切さが感じられる作品でした。
取捨選択という言葉があるように、なにかを選択することは、なにかを捨てること。
すべてを手に入れることはできない。そして、身体はひとつなので、ふたつの人生を生きることはできない。
念願の経済的自由を果たし、思い描いていた生活を送っているいっぽうで、それは同時に、あたりまえながら「会社員としての人生」を主体的に手放したということです。
会社員、事業主、自衛隊、医師、会計士、土木作業員。
体はひとつですから、これら複数の人生をすべて同時に歩むことはできません。
転職したなら、独立したなら、それまでの人生を同時に歩み続けることはできないわけです。
それはとりもなおさず、自分がそのとき選択した結果であり、その選択にたとえ微塵の後悔がなくとも、選択をした以上なんらかの選択肢を捨てたわけです。
そうやって選択の積み重ねが人生を形作っていく――。
そして、人生の選択をみずから下したのであれば、それを生かすも殺すも自分次第。自分できっちり決断の責任を引き受ける。そしてみずから主体的によりよい生き方を描いていく。
人生とは、その連続なのだろうと思います。そしてみずから主体的に人生を作図していくことが、大脳皮質に刺激をあたえ、張り合いを生んでいくのだろうと思います。
みずからペンを取り、白いキャンバスに絵を描いていくのはたのしいものです。
これからも人生の大きな波にゆられながらも、しかし主体的に舵を取り、自分が下した決断の責任を積極的に引き受け、開拓しつづけたい。
本作を見終わったあと、あらためてそんなふうに思いました。
ちなみに…だれもが持ちうる『情愛』という普遍的なテーマ
今まで多くの映画作品を見てきましたが、根底に描かれるテーマとして、やはり「情愛」が圧倒的に多いと感じますね。
人間愛、夫婦愛、家族愛、友愛――。
こうした情愛は「人間を人間たらしめるもの」であり、そして「普遍的にだれもが持ちうるもの」だからこそ多くの人々に訴えかけやすい面もあるのでしょう。
映画『ホイットニー・ヒューストン』でも、超人気歌手の歌をつくるとき、愛をテーマにした歌にしようと決めます。その際に「これは誰もが持っていて、共感できるものだよ」という旨の発言がありました。