平日昼の温泉休憩所には、幸せがつまっていた
平日、時刻は15時。
友人と温泉に行くと、そこには得も言われぬ、牧歌的な光景が広がっていました。
なぜ「幸せがつまっている」と感じたのか

休憩所
入浴後の休憩所。120畳に15人ほど。
登山帰りの人、近所の農家さん。
寝転がったり、座布団にすわって、
野球のテレビ中継を見ながら、缶ビールをプシュ…。
友人&私
なんとも人間らしく、牧歌的な光景。
- 登山や農業で肉体を動かし、
- 昼の2時から温泉に入り、
- 3時に休憩所で野球をみながら一杯やる
多額のお金も必要なく、入浴料600円、缶ビール300円。
「GDP」と「人間の幸福」に相関性はあるか
友人はふとこう漏らしていました。
友人
かねてより感じるのは、経済成長やテクノロジーの進化って、負の側面も大きいと思うんですよね。
とくにGDPを尺度とした経済成長には罠があるように思います。人間が不健康になり、薬が売れればGDPは増える。
GDPにはそのような、人間の幸福とは関係のない虚構を内包することになります。
「実物がともなう素朴でリアルな生活」が直結する幸福
対して、「体を動かし、温泉で疲れを癒し、仲間と一杯やる」
これはとりもなおさず、人間の幸福に直結するかと思います。そこに虚構やデジタル機器は存在せず、実物がともなっている。
そんな素朴でリアルな生活にこそ、幸せはつまっているような気がするのです。
そしてこの休憩所は、時間の流れがゆるやかでした。
土や自然と対話する農家さんと登山客がいて、時間に追われる様子がない。
時間をコントロールしようとすると、ストレスを生む
- 時計や決められたスケジュールをもとに行動すると、時間通りに物事が進まないとストレスを感じるようになる。なぜなら、時間をコントロールしようとしているから。
- 逆に、雨が降ったから水やりせんとこう。今日は暑いから水を多めにやろう。そうして自然との対話で物事が決まると、時間を軸にせず、自然を軸にして考える。
「自然という、人間がコントロールできないもの」が時間を規定しているから。
私も実際に作物を育て、牧歌的な暮らしをしていると、そんなふうに思うのです。
牧歌的な暮らしとは、時計が時を決めず、自然が時を決めるということなのだと思います。
- 「10時になったから寝る」のではなく、日が落ち眠気を感じるから寝る
- 「7時になったから起きる」のではなく、日が昇り目が覚めたから起きる
- 「12時になったからお昼を食べよう」とか、「6時になったから夕飯を食べよう」ではなく、お腹が減ったから食べよう
- 眠いけどまだ9時だからあと1時間ぐらいゲームしてもいいだろう、とならず、眠いから寝よう
こうして、自然の流れと生理現象に即した生き方をすると、体調がよく保たれるのを実感します。
寝食を「時計が定めるタイミング」でするのではなく、「自分の身体の声を聴いてタイミングをつかむ」からです。そりゃ心身にいいわけです。
自然の摂理に即した生活。それをやはり重視することが、人間という動物としての幸福を満たすことになるのではないかと、あらためて思います。