FIREしてよかったと感じる瞬間
水曜日、午前11時。
母が我が家に泊まりに来たので、お昼は天ぷらを食べに行きました。
翌日のお昼は、うなぎを食べに行きました。
母
こんなことができるのは、あんたがこういう生き方を選んでくれたからや。
ふつうはもっと忙しくて、こんなんできひん。
毎回ありがたいなぁと思うで。
たいせつにしたいものを、たいせつにできる
FIREして、自由な時間が増えると、家族やたいせつな人との時間を、たいせつにできる。
それが本当にいいなぁと思います。自分が望む人生を生きられる。
私たちは有限の人生を生きていて、今この瞬間は、まぎれもなく貴重な瞬間で、一度過ぎ去ると取り戻すことはできません。
だからこそ、儚さがあり、情緒を感じ、家族や大切な人たちとの「この瞬間」を大事にしようという気持ちがはたらきます。
歳を重ねて思い出話をするのは、けっして後ろ向きなことではなく、それだけその瞬間瞬間をたいせつに生きてきて、感慨深くおもってきた証拠でもあるのではないでしょうか。
母を見送るとき、毎回「これが最後かもしれない」と心のどこかで思っています。
これは感傷的になっているわけでもなく、「人間いつ死ぬかわからない」という厳然たる事実を明確に認識しているからです。
自由と主体性を感じられる
入社当日から自由な生き方を意識し、30歳でその自由をつかみとり、決意し、そして今こうして、たいせつにしたいことをたいせつにできる。
そういう主体的な人生を歩めていることに、心からよかったと感じます。
FIRE後も続くブログによる交流
私がこうしてFIRE後の生活をつづっているのを見て、「生き方を変える決断をした」というメッセージを最近もいただきました。
そうして、どこかのどなたかと相互に作用しあっているということに、小さからぬ感慨が湧きます。
「お金の相談会」も、すぐにご応募いただいた方々と数回にわたって実施したのですが、本当に素敵な方ばかりで、ありがたいかぎりでした。
そうやって、自由と主体性のある時間を、たいせつな人や共鳴する人々と過ごせることは、とても幸せなことであるように思います。
まとめ
FIREしてよかったと思う瞬間。
それは、たいせつにしたいことをたいせつにできる時間を持てるということ。
現代はこれだけ技術が進んで、便利になったはずなのに、なにかに追われるように忙しさや焦燥感をいだく人が増え、たいせつにしたいことをたいせつにすることがむしろ難しくなったのではないでしょうか。
便利な生活に慣れた結果、ささいな不便さえも許容できなくなったからかもしれません。
FIREして自由な時間を持って、主体的に生きることができ、たいせつにしたいものをたいせつにできる。
そういう現代では希少かもしれない生活を味わうことで、現代社会をより克明かつ客観的に見やすくなるようにも思います。
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