芸能人の不倫報道に、社会的意義はあるか
芸能人の不倫を報道することは、社会の繁栄・調和・安定に貢献するのでしょうか。
不倫報道のオモテとウラ:芸能界と政界
6月15日発売の週刊文春では、広末涼子さん・鳥羽周作さんの不倫のほか、巻頭スクープは別の記事。首相側近の不倫報道です。
- 芸能人の不倫
- 政治家の不倫
テレビで報道されたのは、①ですね。①は多数の人が知り、②は一部の人のみが知る結果となったのでしょう。
事実は無数にあるなかで、「さまざまな要因」によって報道されるのは一部ですね。
芸能界と政界、その職責のちがい
芸能人というのは確かに公の場に出てその私生活も含めて芸能だと言われる向きもありますが、とはいえ政治家とちがって国民の負託を受けて、国民の代わりに国会で議論をするという民主主義の重要な役割を担っているわけではありません。
不倫は当事者の問題でしょう。民主主義において政治家の職域である政治は、国民が当事者ですが、芸能人の職域において国民は当事者ではありません。その点が大きく異なります。
自分にはない清廉・清貧を求めているのか
聖人君子や完璧な人間というのは、(きわめて稀にしか、というか一般的には)存在しないでしょうから、極端な話、総理大臣でさえ痴情のもつれがあろうとも、「国民の負託に応えて職責を全うしているかどうか」のほうが本質的ではないかと思います。
もちろん、一国の宰相である以上は清廉であるに越したことはないのでしょうが、現実問題として多くの場合でやや無理があるように思います。
明治維新で業績を残した多くの政治家が出てきましたが、当時の政治家は破格の待遇であったことが多くの文献で記されています。人間として通常の欲がある以上は、完璧な清廉・清貧を求めるのは無理があるでしょう。
日本のゴシップ報道が示唆するもの
今まで欧州や中国などでしばらく滞在したことがありますが、海外のテレビと比べると、日本は異常なほどゴシップ報道が多く、政治・経済・国際関係の報道が少ないです。
日本の投票率の低さがその傾向を如実に表しているように思います。
外見やイメージなどで投票する、またはそもそも投票しない、といった国民が多いようでは、適格な政治家が選出されず、期待する政治が実現しようはずもありません。
なかなか難しい問題ですが、中長期的には次世代に対して家庭内外で真っ当な教育と善導がなされることで、根本的な変革につながっていくのではないかと思います。なかなか根気のいる壮大なお話です。
関連記事