ゴールデンウィークを終えて感じること
GW最終日に感じること。それは率直に以下のとおりです。
サラリーマン時代はどうしても自由への制約が生じていました。今は自由で主体的な生活を送ることができます。
その事実にありがたさを感じます。そうしてありがたさを感じることに対してあらためて再認識することで、またポジティブな感情を生むのだと思います。
人の価値観はそれぞれですから、一般化して言うならば、送りたい生活が送れているのか、という点がポイントなのでしょう。
「自由」というのは、人間が幸福を感じるうえで根源的な要素の1つだと思います。
最近アメリカの歴史関連書を読んでいますが、イギリス国教会によって信教の自由が一部阻害されたこと等を受けて、北米のプリマスやバージニア州、マサチューセッツ湾などへ移民が向かいます。
そこからアメリカの礎が築かれていくわけですが、移民となる背景の1つに「自由への渇望」が垣間見えます。自由への渇望というものは、大きな原動力になりますね。
いつも言うことですが、自由には責任がともないます。自由であることで自分で物事を決める主体性の幅が広がります。一方でその結果は自分で負うという責任が生じます。
その責任を認識し、受け入れ、自由な日々を有意義に過ごせている自負を持てるならば、自由な日々というのは望外の悦びをもたらすものだと感じています。