「苦労」と「完遂」に感じる内在的価値

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苦労と完遂に生じる内在的価値

内在的価値とは、それ自体に価値があること。

対義語は、手段的価値。なにか別の目的を達成するための手段として価値があること。

本記事は、苦労と完遂には、それ自体に価値が備わっているというお話です。

先日、印象深い1日を過ごしました。

あるメディアへの出演がありました。

話す内容をイメージします。それでも結局はいつもアドリブにはなります。

しかし準備しておくことに意義があります。平静と余裕を生むことがあるからです。

だれかと仕事をするということは、相手の時間も使うわけで、失態があれば相手の時間を奪うことにもなります。準備は一種の礼節と言えるでしょう。

収録前、都内を歩いていました。スーツ姿の人々を目にして、以前の自分が重なり、感慨深いものがありました。

今こうして個人または法人の身として活動している自分を、当時は想像すらできませんでした。

以前は会社でプレゼンを控えたときと同じような緊張感で、今は収録を控えている。

緊張感を持って、今こうして自由度と裁量性のある活動をできていることが、ありがたく感じました。ひとりではとてもできないことです。

収録を終え、晴々とした気持ちでした。精一杯やれたことで充実感があります。

普段と同じ景色が美しく見えます。

四ツ谷まで歩く途上、千鳥ヶ淵の桜が綺麗で、多くの人で賑わっていました。

人と待ち合わせて、新宿で焼き鳥を食べました。隣に外国人カップルがいて、気さくに話しかけて談笑しました。その日はそんな気分だったのです。

1日を終えてふと思ったのは、人生を通して模索を続けるという苦労や、それを経た完遂それ自体に大きな価値が発生しているということです。

ひとつの番組をともに作り上げる(私はお話ししていただけですが)という過程、その準備、緊張、完遂といったものによる充実感。

完遂するためには日々の努力も必要だと思います。でもその苦労は確実に自分に刻まれ、逃げずに自分を直視することでその後の糧になっていく。

その種まきが形になったとき、やってきてよかったと思えるはずです。どこでどう形になるかはわからない。でも人生を味わいつつ努力を重ねる。自分を甘やかして逃げずに、至らぬ点を直視する。

その姿勢がその後の人生を分かつ。日々の充実につながる。

人はなぜ働く(活動する)のか、という問いに対する、数あるうちのひとつの答えだと思います。

千鳥ヶ淵

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