なぜ日本で「同調圧力」を感じ、中国で「自由」を感じたのか

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なぜ日本で「同調圧力」を感じ、中国で「自由」を感じたのか

中国は思想教育もしていそうなのに、国民は向上心があり、発想も自由。

なぜ日本はゆとり教育なのに若者はやる気がなく、同調圧力が強いんでしょう。

このようなコメントをいただきました。

たしかに日本は同調圧力が強いですね。以下のような海外経験からも、そう感じます。

  • イギリスへ短期留学
  • 欧州・中東・アジアを旅
  • 中国に留学
  • 帰国後、日本の大手企業へ就職
  • 海外駐在

補足

私は中国・関係団体との利害関係は一切なく、子々孫々に健全な主権国家としての社会を継承したいと願う市井(しせい)の日本人です。

入社後すぐに感じた「同調圧力」

入社後すぐに感じた一例を挙げると、次のとおりです。

新入社員向けに、労働組合の勧誘がありました。

労働組合の人

新入社員もふくめ、社員は基本的に組合に入ります。
みなさんも申込用紙に記入して、提出ください。

ほかの新入社員はその場で申込書を書き、提出する光景に、私は内心驚き、こう思いました。

穂高 唯希

労働組合に入るという選択をする際に、

  1. どのような意義や影響があり
  2. 制約や条件があるのか
  3. なぜ加入する必要があるのか

そういった疑問や諸条件を自分で主体的に確認・咀嚼し、納得したうえで行動しないのだろうか?

私はこれらを整理し、主体的に考えたうえで加入するか決めたかったので、申込書はすぐには書きませんでした。そのような新入社員は私だけだったようで、同日に労組幹部から

労働組合の人

申込書を書いていないのは穂高君だけだけど、どうだろう?

事を荒立てる必要もないので、一応すんなりと書きました。

ただし、「疑問を持たない」または「主体的な思考をせずに意思決定をする」という生き方はしたくないと思いました。その後も似たようなことが何度もありました。そのたびに、FIREへの渇望は高まっていくことになります。

ちなみに私の友人も、会社・法律事務所・研究機関といった組織で、この手の「同調圧力」を感じたと吐露しています。そして彼らの多くはすでに日本の組織を去りました。海外ではたらいているか、個人または個人に近い形で活動しています。

彼らは、総じて海外経験があり、頭脳明晰で、はたから見ても能力の高い人たちです。日本の同調圧力は、そうした人材の流出を招いていることになります。

以上、同調圧力の身近な具体例と影響を確認しました。では、本論に戻ります。

日本と中国の対比(向上心、やる気、同調圧力)

私がすごく不思議なのは、中国は思想教育もしていそうなのに、国民は向上心があり、発想も自由なことです。なぜ日本はゆとり教育なのに若者はやる気がなく、同調圧力が強いんでしょう。

そうですね、中国は思想教育をしています。留学時代に北京大学の中国人生徒たちや、ほか中国の人々と濃厚に付き合ってきて、そう思います。

中国には、共通の理念・価値観がある

ひとつ言えるのは、彼ら中国人は共通の理念・価値観を有していました。それは、「偉大なる中華民族の復興」です。

彼らと話すと、話題はよく「中国の歴史」になります。それだけ彼らは自国の歴史をそらんじており、共産党の理念に沿う教育を受けています。

共産党を正当化する色彩のある教育であり、ある意味で共通の理念・価値観が国民に備わっています(決してそれが好ましいとは思えない部分もありますが)

勝者が歴史を語り、自己否定から入る日本

対して日本は共通の理念・価値観はあるでしょうか。日本は戦争に負けました。歴史は勝者によって語られます。

私たちが受けた歴史の教育は、「敗者(日本)が語る歴史ではなく、勝者(連合国)が語る歴史」という要素は排除できないですね。往々にしてまず自己否定から入ることになります。

さらに終戦後は「これまで大人たちが言ってきたことは、なんだったのか」と子どもは感じるでしょう。当時を生きた、鈴木敏夫『読書道楽』(2022年)によく表れています。

「貧困」と「蹂躙された歴史」から生じる中国の向上心

また、中国はほんの少し前まで、都市化も途上の貧困国でした。ほんの約10年前は、北京でも道端で親が幼児に用を足させていたのを現地で目にしました。

貧困を経験している世代は、生きる力が強いですね。豊かになるための原動力がきわめて具体的だからこそ、強く人間を動かすのでしょう。

ましてや、中国はアヘン戦争を経て列強に蹂躙され、さんざん苦汁をなめた歴史があります。そういう歴史は、よほど平和ボケや教育が劣化していないかぎりは、国民の臥薪嘗胆や向上心につながるのでしょう。劣情は強烈な原動力になるからです。

対して、日本は日清・日露戦争で勝利または引き分け以上に持ち込めたからこそ植民地にされることは免れました(ただし、その日本も敗戦後は、米国の実質的な「Protectorate(保護領、属国)」である面は見受けられますが)。そして、高度成長でいったんは豊かにはなりました。結果、ハングリー精神が失われているという面もあるでしょう。

「何かが足りない」と感じたことによる「ハングリーさ、渇望」という原動力は非常に大きいですね。ほか劣情や使命感も、人間の原動力になります。

今の日本に、共通の価値観(宗教・道徳・歴史観)や行動規範はあるのか

「仮想敵国をつくると国がまとまる」とよく語られるように、主権国家として体を成し、まとまり、向上心を持つには、「国民に共通の価値観や行動規範があるかどうか」は大きいと思います。

「共通の理念で集まること」が一般的な諸外国

たとえば私の留学時のルームメイトの韓国人や、同級生のシンガポール人は、毎週日曜の午前中は教会に行き、礼拝をしていました。クリスマスはみなで集まります。私は「食事できるよ」という言葉と物珍しさにホイホイ参加(潜入)。「共通の理念で通い合う集団は強いだろうな」と思いました。

中国は、共産党員が定期的に集まります。中国人の同僚は共産党員が何人かいました。企業の垣根を超え、国家のことを真剣に議論するそうです。彼らは、「党員=優秀」と自負し、気負いなくそのことを公言していました。

よいか悪いかは別にして、共通の理念や価値観、行動規範を持つ集団は強いですね。よくもわるくも、互いに肯定しあい、同志として向上心や信念が増幅され、より強固になるからです。

日本が失ったものは、倫理観ではないのか

対して日本はどうでしょうか。今の日本に、共通の理念や価値観はあるでしょうか

かなり崩れていると思います。共通の理念を持ちすぎるのもどうかと思いますが、あまりになさすぎるのもどうかと思います。ばらばらになり、利己主義が先鋭化するからです。

よく失われた20年などと言いますが、日本が近現代で失ったのは「経済成長」という実用主義的なものではなく、「共通の倫理観」というもっと根本的なものではないでしょうか。

たとえば商道徳。

以前は「三方よし」「ひとり勝ちは慎む」といった個人だけでなく集団との調和も重視する考えがみられます(私は最近、金融教育や投資の奨励は、日本の産業の足腰を弱くし、利己主義・個人主義の先鋭化に拍車をかけるのではないかと思うときがあります。金融はあくまで主役にはなり得ず、長期的には成長を金融に頼るという「窮余の策」にしかならないであろうからです)

戦前の日本は「修身」という科目がありました。今でいう「道徳」です。これはいわば、国民を集団的にまとめる役割を担っていたと言えるでしょう(本科目は思想的な色彩が強く、軍国主義的な面もみられるため、その是非はいったん脇に置いたうえで)

まずは「家庭内教育」だと思います。昨今、「教育は学校まかせ」になっている節がありますが、人格形成で大きいのはまず家庭内でしょう。最も身近な大人である親が範を示せないようでは、その背中を見る子どもはどうなるでしょうか。

自分の頭で考えない日本人を生んだのは、たしかに均質で量産型の人間形成につながるような「ただひとつの正解ありき」の教育制度が一因ではあると思います。しかし子の人格に影響をあたえるのはやはり親が負う部分は大きいのではないでしょうか。

ちなみに、よく中国人に言われました。

中国人

なぜ日本はそんなに米国に従属的なんだ? 日米同盟が対等だとはとても思えない。 そのことに対して日本人は何も思わないのか?

当時、私はこう答えました。

「多くの日本人は、政治に対して興味がない。投票にも行かない」

この事態は、外国の友人から見て異常に映るようでした。無関心は退廃を招来します。彼らのほうが日本の置かれた状況を関心を持って俯瞰しているような気さえしたものです。

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