1冊の本にかける情熱と労力
2年半ぶり、新刊出ます。
周囲の声や溢れる情報。騒がしい現代は底知れぬブラックホール。
意思なき者は飲み込まれ、お金、時間、人生そのものが奪われるーー。私が人生で貫徹した主体的思考法 #シンFIRE論 は、現代に流されず主体的に泳ぐための処方箋。400P超え長編!https://t.co/aJjfS9CEGR pic.twitter.com/ELzb9vX11L
— 穂高 唯希|Yuiki Hotaka @新刊 #シンFIRE論 (@FREETONSHA) December 27, 2022
新刊「#シンFIRE論 経済・精神の自由を手に入れる主体的思考法」が2023年2月25日に発売されます。
本記事では、本書のテーマ、作り上げる過程、そしてその過程で注いだ情熱や、私が伝えたい思いなどについて記します。
本書のテーマについて
本書のテーマについて、大まかに説明いたします(詳しくは発売前に記します)。
本書の核となるのは「主体性」と「思考法」です。投資の話題も1章+αの紙幅を割いていますが、投資テクニックの本ではありません。
一言でいうと、「現代を生きる上での処方箋」です。400ページものボリュームで、人生において普遍的なテーマを詰め込みました。今後も続く長い人生でお役に立てば幸いです。
依頼を受けた理由
前著「本気でFIREをめざす人のための資産形成入門」とは全く異なる切り口ゆえに、正直に申し上げて苦しみました。「生みの苦しみ」を味わった気がします。
2冊目を書く場合に、「手垢のついた、すでに類書が多くみられるテーマの本」を書く気は毛頭ありませんでした。
ありがたいことに、1冊目の刊行後に、投資やFIREをテーマとした執筆依頼を複数頂きましたが、お断りしていました。「今やFIRE本も投資本も数多く出版され、同様の本を出すことは意義のあることなのか」と考えていたからです。
その最中、まったく切り口の異なる企画で、『「お金と幸福」の本質を突いた人生哲学を書いて頂きたい』と編集者より、打診がありました。
投資家である私に、「なぜそのテーマで依頼するのか」を問いました。
- 「自分の人生を生きること」に強烈な渇望を持つ穂高さんにしか書けない、「お金では得られない幸福論」を書いてもらいたいと思ったこと
- 「投資でお金を増やしたい」はあくまで方法論で、「普遍的な幸せをつかみたい」、生きることに真面目な読者に向けた本をつくりたいと思ったこと
といった依頼理由でした。
まずは編集者と電話をして、私の率直な気持ちや本に対する思い、FIRE後の現状について伝えた上で、引き受けるか考えようと思いました。
編集者からの話は以下でした。
「bizble(=朝日新聞社のコラム、現在はサイト閉鎖)の記事、非常に興味深く、FIRE論というくくりの記事ではあるが、「主体性をもって生きること=自由でいられる=幸福」がどの記事にも共通し、その視点でブログの記事も一貫性があると感じた。ここをヒントにした新しい視点の本を作りたい」
私のブログと、そして連載コラムの核となっていた部分を的確に洞察いただけた気がしました。1冊目以降で初めて、「このテーマなら、この人となら、書いてみたい」と、心に躍動するものが芽生えた依頼でした。
挑戦することを決意しました。
伝えたいことを具体的に言語化する作業
前著「本気でFIRE~」は言ってしまえば、「今までやってきたことを書くだけでよかった」のです。FIREに至る軌跡と手法、自分が発信してきたことの総まとめ、加えて投資入門書となる解説に、自分の投資哲学や人生哲学を散りばめるような感じです。主題や流れ、骨子が非常に明確なので、書きやすかったのです。
しかし本書は、今までの人生体験を総動員し、真っ白なキャンバスに0から1を生み出す難易度の高い執筆でした。自分が書きたいことと、世間が求めていることをバランスよく照合していく作業です。
とにかく手を動かして、ぼんやりとイメージしていることを、具体的に明確に言語化する作業を、編集者とともにひとつひとつ行いました。
構成や文章が読者の求める内容になっているか
起承転結をうまくまとめられても、読者が求める内容になっていなければ何度でもやり直しました。
また、話に矛盾がないか。読んでいて違和感がないか。
ある程度方向性が見えてきた段階でも、本当に何度も何度も執筆をやり直すことになりました。
自分自身が納得のいかない文章を、絶対に世に出すことはできません。編集者の的確なご指摘によって、テーマに沿わない不要なくだりはそぎ落とされ、微妙なネタは割愛となり、新たに書いてみる。そんな作業をただひたすら繰り返しました。
しかし時間は確実に過ぎ去ります。「原稿の締め切りに間に合うのか」という不安もよぎりながら、そんなことは言ってる余裕もなく、とにかく目の前の原稿に全力を注ぐしかありません。
原稿が仕上がった後も、推敲に推敲を重ねる追い込み作業
ようやく原稿が仕上がってきます。ここでようやく全速前進10割モードの推敲開始です。
なぜなら、仕上がる前に「内容の骨子や流れ、起承転結」を確立する段階では、8割ぐらいの力でとにかく手を動かし、編集者とすり合わせていくことが先決だと思うからです。
いきなり10割でやると、仕上がる前にボツになるネタも出るなかで時間のロスが大きすぎるからです。この点については、編集者も同じ考えでした。
とにかく、推敲を重ねます。400ページありますから、ひととおり読み返すだけで膨大な時間が必要です。この作業は前著でも一番しんどかったような気がします。
私はこだわりが強く、完璧主義的な一面があります。校正者の方や編集者に全面的に任せっきりにはできず、一言一句までこだわりたいのです。
自分で読み返して、「つまずく部分はないか」「すらすらと流れるように読めるか」「読者が本当にイメージしやすい例なのか」などをひたすら確認。連日10時間以上、ひたすら推敲を重ねました。
そうしてようやく、初校といって紙に出力してチェックする段階です。それからも、また推敲を重ねていき、晴れて校了(=原稿に関する作業が終了、次は印刷する段階)となります。
本は著者ひとりでは作れない。スタッフとともにする本づくりの情熱と苦労
本を1冊書き上げるというのは、大変な労力です。お金を稼ぐための効率として考えれば、とても効率がよいビジネスとは言えないでしょう。そのため、ライターに任せたり、推敲は校正担当者や編集者に任せる人もいます。
しかし私は思うのです。これだけ手間暇かけて考えて考えて執筆し、自分で推敲を重ねるからこそ、思い入れの強い我が子のような1冊になるのだと。そして、日本という自分を育んでくれた社会や人々に心から伝えたいことを、少しでも伝わる内容にすることができるのだと。
強い思いがないと、これだけの膨大な時間と情熱と労力を1年近くにわたって注ぎ続けることはできません。生半可な気持ちで、決してお金のためだけには書けないと断言します。
1冊目「本気でFIRE~」も同様に、とにかく必死で全力で膨大な時間と情熱を注いで書き上げました。「ブログ内容とほぼ同じ」なんて言う人もいましたが、そうでないことは、執筆した私が一番よく知っています。ブログ読者もご存知のはずです。
そして、本は、ブログやツイッターと違い、ひとりでは決して作れないものですね。
本のテーマに沿って、その専門分野のスタッフが関わります。
関わるスタッフによっても出来上がるものは一変します。
- 編集者
本のコンセプトを明確に調整して、著者やスタッフの舵をとる - デザイナー
読者ターゲットやテーマに沿ったデザインで表現する - イラストレーター
誌面にキャッチーさを加え、情報をわかりやすく表現する - DTP・校正者
見落としがちなミスをつぶさに調べ、確認し、骨の折れる作業を担う - 友人
弁護士、投資法人運営者など。回答を求められたときに適宜アドバイス - 家族
原稿チェックやアドバイス
すべての人に深く感謝申し上げます。どの人が欠けても、発刊に至るクオリティにはなりません。私ひとりの力では、こんな1冊にはなりませんでした。
とくに編集者とは、本当に苦楽をともにしました。ほぼ毎週、顔を突き合わせて、ほぼ1日中、ああでもないこうでもないと喧々諤々。
そもそも今回の本を書くにあたっては、私が書籍執筆に際して、編集者に以下の点を徹底的に確認しました。
- 社会や人々に伝えたいことに理解を示してくれるか
- なぜこの本を書くのか、という思いに賛同してくれるか
- 本を書くにあたっての理念と信条を理解してくれるか
- 同じ志で、真に伴走してくれるのか
- ただ売りたいだけの、安易・安直な本には絶対にしたくない
理解を示さない編集者とは、本を作る気は一切ありませんでした。
目的や意義のない仕事には、魅力を感じません。きちんとこの「本づくりという仕事」の社会的意義、そして自分の理念や信条に沿っているのか、本当に読んだ人のためになるのか、そういった核心的なことを満たした本にしたいのです。
長々と、最後までお読みいただき、まことにありがとうございました。貴重なお時間をいただきました。
私がなぜこの本を執筆したか、そして本の制作過程そのものに価値を感じたこと、読者や社会に対してどういう思いでこの本を書いたのか、少しでも伝わりましたら、幸いです。