常在戦場、コミュニケーションとは常に奥深き修練の場
FIREして以降というのは、抑圧される場面がありません。
自由です。対人関係も、気心知れた仲間や家族との割合が以前より相対的に増えました。
しかしだからこそ修練が必要だと思います。
自由とは一方で「抑圧されないことで歯止めが利かないこと」を意味しうるからです。
コミュニケーションにかぎりませんが、あらゆることにおいて常に修練が必要だと思います。
気が緩むからですね。易きに流れやすい傾向が人間には認められるからです。
「親しき仲にも礼儀あり」という言葉があるように、自由を得て、気心知れた人々と付き合うなかでも、そのことを忘れないようにしないといけません。
コミュニケーションというのは、修練に最適なもののひとつだと思います。なぜなら、終わりがないからです。
学无止境
中国語で「学ぶことに終わりはない」という意味です。これは初級者のときに速攻覚えた、私の好きな中国語のひとつです。
人が常に変わっていくように、対人コミュニケーションも常に状況によって流転する。経済のようにつかみどころがなく、だからこそ奥が深く興味深いところです。
「言うべきではないことがあれば、ぐっとこらえて言いそうになったらトイレにこもる」など常に客観視と対策を考えて行動に移す。それでもうまくいかなければ反省する。
そのような基本動作もたいせつなのだろうと思います。修練は一朝一夕に修了できるものではなく、不断の努力が必要だと思います。
しかし見方を変えれば一朝一夕に終わらない奥深きものだからこそ、変数が常にあり、飽きないものとも言えそうです。
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