「52ヘルツのクジラたち」に学ぶ、人に接するときの想像力
最近印象に残った書籍の1つであり、個人的におすすめの本「52ヘルツのくじら」です。
まず、本書から一部を以下の通り引用します。
p.28
間違いなく、あの子供は虐待を受けている。
(中略)
警察の介入によって救われる子供は、たくさんいるだろう。けれど、介入によってもっと酷い目に遭う場合があることも、わたしは知っている。
p.61
小学校四年の時の女性教諭が、わたしの制服にいつもアイロンがかかっていないことを母に指摘したのだ。
(中略)
母は「気づかなくてすみません。お恥ずかしいことで」としおらしく頭を下げたが、わたしはその顔が一瞬凍りついたのを見逃さなかった。
案の定母の怒りはすさまじく、家に入ると同時に殴りつけられた。
(中略)
「どうしてあんな若い女に偉そうに言われなくちゃならないのよ。あんた、あの女に何か言ったんでしょう!?」
あなたは、どちらでしょうか
ここで1つ、考えてみます。
貴方が好意で、よかれと思って、だれか(「Aさん」とします)に生クリームがたっぷり入った美味しいシュークリームを買ってきたとします。行列に並んで、喜んでくれる姿を想像し、ルンルンで買って帰ったとします。
ところが、Aさんは、「ごめん。生クリームは、食べられないんだ」と答えたとします。
貴方はどう思いますか?
- え、なんで!?せっかく行列に並んで、貴方のために買ったのに。それならそうと、嫌いなものぐらい先に伝えてくれててもいいじゃん!人が好意で買ったものなんだから、まずは有難く受け取るのが礼儀ってものでしょう?
- なるほど。もしかすると、なにか深い事情があるのかもしれない。単なるアレルギーなのか、あるいはトラウマ的なものが関わっているのか…。
私はブログで時に
「1つの言葉というのは、背景に百様の複雑な背景・トラウマ・思い・経験・悲喜交々の体験などが織り成して表出したものにすぎない。
だから、ひとりの人間を本当に深く理解しようと思ったら、相当な時間を要するし、貴方が見えている(または「理解している」と思っている)その人は、本当に百あるうちの1つの部分でしかない、ということがままある」
という趣旨のことを記しました。
p.61の以下部分は、さらに後段へと続きます。
p.61
小学校四年の時の女性教諭が、わたしの制服にいつもアイロンがかかっていないことを母に指摘したのだ。
(中略)
母は「気づかなくてすみません。お恥ずかしいことで」としおらしく頭を下げたが、わたしはその顔が一瞬凍りついたのを見逃さなかった。案の定母の怒りはすさまじく、家に入ると同時に殴りつけられた。(中略)「どうしてあんな若い女に偉そうに言われなくちゃならないのよ。あんた、あの女に何か言ったんでしょう!?」
p.61-62
その怒りはそれだけでは収まらなかった。冬休みに入ってから、食事を満足にくれなくなった。
一日に一食、夕飯にふりかけをかけた白飯を茶碗一杯渡され、それも来客用のトイレでひとりで食べなくてはならなかった。
母に恥をかかせた罰だということだった。火の気のない冷え切った狭い空間で、温かそうな肉や魚の匂い、楽しそうな家族の笑い声を遠くに感じながら食べるご飯は、味がしなかった。
(中略)
空腹で耐えられなかったクリスマスの深夜、ダストボックスを開けたら、真樹が食べ残したチキンやお寿司、ケーキが捨てられていた。砂糖菓子のサンタクロースが生クリームにまみれていて、それを迷わず掴んで食べた。
(中略)
生臭かった。
「ごめん。生クリームは、食べられないんだ」という言葉は、それだけでは大した意味を持ってないように一見、みえます。しかしその実、こういった背景があり得るのですね。
想像力って本当に大事だと思います。
何気ない一言が、実は深遠な意味を伴っている可能性があるからです。そこに気づかずに、だれかの心に土足で入り込むことは、その人をないがしろにすることもあり得ます。傷つけることもあり得ます。自戒を込めて。
上述の引用文を見て、どう思うでしょうか。
もしかすると、自分の親に不満があるという人もいらっしゃるかもしれません。しかし、食事は満足に与えてもらった方がほとんどではないでしょうか。
それだけでも、親には感謝すべきことだと思います。人間は、すぐ「もっと、もっと」と欲しがるようにできています。しかしそのメカニズム通りに準じていたら、キリがないですね。
お金と同じで、一般的には欲望もキリがないのが人間です。
たとえば、「もっとお金持ちの家に生まれたかった。もっときれいな顔に、もっと身長の高い家系に、もっと頭よく、もっとスポーツができるように生まれたかった。」
こういう考えは、ないものに意識が行ってしまっています。
食事を満足に与えられ、お洗濯が済んだ衣類を提供され、住環境が整えられている。衣食住が整えられているだけでも、それだけでも親に感謝する理由には、十分だと私は思います。
あるものに目を向ければ、思考はおのずと変わりますし、人生は明るい方向に向かいやすくなると思います。
ほかにも金言が数多くちりばめられています。
p.88
温かなスープを飲んで、それを堪える。羨んでも、どうしようもないでしょう。
p.89
いつも冷静な牧岡さんが動揺して、誰か来てっていうからには大変なんだなと思ったんだよ。
p.89
「アンさんは、美晴のことが好きなんだろうね」そんな理由でもないと、彼の行動に説明がつかない。
(中略)
「違うと思う。多分、あの人はものすごく優しいんだよ」と確信めいた口ぶりで返す。彼が担当する教室は、塾生からとても人気があるのだという。進学してもアンさんに勉強を教わりに来る子や、不登校でもアンさんの教室にだけは通えている子。
「私はそんなの、叱らないだけじゃないの?って思ってたんだよね。ニコニコして無害だから、子供が懐くだけでしょ、って。けど、そんなことなかった。昨日さ、貴瑚に真っ先に気づいたのって、実はアンさんなんだよね。」
(中略)
きっとあの人は、人の苦しみとか哀しみに対してすごく優しいんだと思う。
p.223
あの子は叱られたことも思い通りにいかずに悔しい思いをしたこともなかった。
でもそれはかわいそうなことよ。あの子は何もかもから自分を守ってくれた父親から離れて初めて昔に当たり前にある壁を知ったんじゃろうよ。
あの子は何もかもから自分を守ってくれた父親から離れて初めて昔に当たり前にある壁をしたんじゃろうよ。
水疱瘡やおたふく風邪と同じで小さな子供のうちに覚えておかなきゃならんことを大きくなって知るのはものすごくしんどいものよ。
人というのは最初こそもらう側やけどいずれは与える側にならないかん。いつまでももらってばかりじゃいかんのよ。
こういった数々の示唆に富んだストーリーや表現があります。著者「町田そのこ」さんに感謝です。