FIREに必要なのは、資産額というより人的資本と自信と知性【自活能力】
先日取材をお受けしていた際、印象的だったことがあります。
拙著への感想に見いだされる「FIRE」への前衛的着眼点
それは拙著「本気でFIREをめざす人のための資産形成入門」の感想として、
FIRE達成の裏には、どうあっても生きていけるという自分への自信があったのではないか。自分も(英語・中国語などを)勉強しないとと思いました。
※一言一句おぼえてはおらず、当方による意訳ふくむ
とおっしゃっていたことです。前衛的な着眼点と思いました。
結局「セミリタイア・FIREに踏み切る際、なにが一番重要か」と問われれば、それは従前より述べていた「生き方」であり、さらに上述引用部の通りでもあります。
資産額というのは、いってしまえば霞(かすみ)のようなもので、金融市場の上下で金額はいかようにも変動します。
ほかにも、
- 預金封鎖
- 市場閉鎖
- サイバーリスク
- 旧来的近代資本主義の終焉
- 株式無相関的ハイパーインフレ
など、テールリスクはいくらでもあります。
確率的には極めて低いものの、発生すると巨大な損失をもたらすリスク
対症的ではなく、根治的で普遍性あるものを自身に備える
とどのつまり、金融資産額というのは普遍性に乏しいものだと私は思います。対して、種々の状況で普遍性があるのは以下です。
- 知性
- 自活能力
- 身体的能力
- 自分に対する自信
- いざとなれば作物を育てられる農業スキル
- いざとなれば小屋を建てられる建築スキル
- 外国に突然とばされても生きていけるコミュニケーション能力・言語能力(英語・中国語・スペイン語・アラビア語など)・文化理解力・適応能力
これらは直接的・物理的・身体的傷害等がないかぎり、失われることはありません。
こういった普遍性・汎用性のあるものを、普段からどれだけ養っているかが、FIREに限らずあらゆる結果として差異が生じてくると思います。
FIREしても、心配になることがない理由
「FIREして心配ではないですか」と過日お聞きいただいたことがあります。私なりの回答は以下の通りでした。
- 「たとえ資産が0になったとしても、『いかようにでも生きていける、なんらかの価値を提供できる』という自信・自負を備えていれば、FIRE後の心配はそもそも生じない、または「心配」という発想自体がそもそも起こり得ない」
つまり、FIREを達成するために、得てして資産運用が主論として語られがちですが、より大きな視野でいうと、結局は「生き方」ならびに「自分自身に対する主観的価値」そのものに帰するという結論に帰着するのです。
何を重視し、どんな生き方を望み、そのためにどのような能力を備えていくのか、ということですよね。
逆にこれらがないと、資産がいくらになっても安心できないことになります。私が以前、「7,000万円なくとも5,000万円でもなんの問題もなかったと思う」と述べたのはそういうことです。
FIRE・資産運用というのは、単なる手段でしかないのです。
ここまで読んでどう思い、何を行動として表していくのか
さて、ここまで読んで
- そんなんできひん
- 今だからそんなこと言えるだけ
と思うのか、
- なるほど、よし。自分を磨こう。
- 英語を勉強しよう。中国語を勉強しよう。
- 世界を広げよう。知性を磨こう。読書をしよう。
と思うのかは、当人次第です。
意志ある後者に道が開けると思った方、ご賢察の通りと思います。
穂高 唯希
Best wishes to everyone.
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