ブログ1,000記事という節目を迎えて
2021年2月10日にブログ管理画面を見ると、以下の数字が飛び込んできました。
ということは、2021年2月11日に公開する本記事が、1,000記事目ということになります。今年は金融資産も節目を迎えそうです。
ブログを書いてる方もいらっしゃると思うので記しますと、月間PV数の節目を迎えたのは、700記事を超えたあたりからと記憶しています。
記事数とPVは単純に比例するとは限りませんが、1つの要素にはなり得ると思います。ただしもちろん、いたずらに記事数を重ねることに意義があるわけではないと思います。
日々を真摯に積み重ねることが第一義的なのであって、その方向性が適切であれば、「数字は後から付いてくるもの」という位置付けだと私は思います。株式投資と同じかもしれません。
率直な感想
率直な感想として「よくこれだけ続いたなぁ」と自分でも思います。
奇しくも中学生の時にオンラインゲーム「FINAL FANTASY11」をやりこんだ日数と同程度(笑)
継続できた理由
これだけ継続できたのは、以下理由と思います。
- 性に合っている
- 文章を書くこと自体を楽しんでいる
- なにかしらの形で役に立てている(と少なくとも自分で思える)のが素直にうれしい
もちろん、時間は人生において有限なので、時間をかければ相応の時間コストが発生します。ゆえに、相応の時間的対価となる金銭がきちんと生じるというのも継続の一因ですが、とはいえ上記3要素がなければ続いてないですし、充実感は得られていないと思います。
① 性に合っている
本来は、飽き性、よく言えば多動的であってきたことは自分で客観視しています。
そんな自分が投資にしても、ブログにしても、これだけ続いたということは、よほど性に合っているのだと思います。
これは、②・③と関連します。
② 文章を書くこと自体を楽しんでいる
以前から綴ること自体も大いに楽しんでいる側面を見いだせます。
加えて、先日こんな記事を書きました。
FIRE・セミリタイアを達成し、仮想的な世界も今はどこ吹く風。しがらみもなく、気にすることなく、より素直に心地よく綴っている気がします。
「ブログ続けるん大変や〜」と思う時が、以前はたまにありました。今はなんかめちゃくちゃすっきりとしています。清流。
③ 読者の方々の存在
結局は、読者の方々がいるからこそです。私のブログ運営の核として、読者の方々への感謝がやはりあります。綺麗事ではなく。
今の自分があるのは、家族・自らの努力に加え、幼少期に周囲の方々の親切心があったことは、間違いありません。ですから、できるだけ性善説を前提に生きたいと思っています。
- 40代のシングルマザーさん
- 50代のシングルマザーさん
私はブログをきっかけに、こういった方々と直接やりとりさせていただく機会がありました。ありがたいことです。
私も近い境遇です。とても他人事とは思えません。こういった方々の資産運用などのご相談にお答えし、そしてお役に立てた(と少なくとも私は受け止めました)ことは、印象に深く残ります。
ブログをやっていなければ、間違いなくこのような機会はなかったと思います。
なにかしらの形で役に立てている(と少なくとも自分で思える)と、素直にうれしいと感じるのが人間だと思います。それが没個性からくるものではなく、確たる個に起因するものであれば、尚のことです。これはやはり、直接的にモチベーションが向上し、やりがいをもたらします。
人間は社会性を帯びた動物ですから、ブログと社会的要素が結合すれば、本能的に相通じる部分もあるのでしょう。
ライフワーク
ブログは、ライフワーク(人生の生業)になっているのかもしれません。
これからも、なにかしらの気づきや参考になると思しき情報・感受したものなどを添えて、楽しく自分らしく綴っていければと思います。
いつもありがとうございます。
Best wishes to everyone.
ブログ400記事の時に記したものです。それ以外の節目にはタイムリーに気づけず、書いていないという(笑)
当時、ブログを書く時に気を付けていたことです。
1記事目は、こちらでした。