わたしが心掛けてきたことでもあり、経済的自由達成にも資することとして、「今あるもので工夫する」ということがありますね。
これは、結果的に「支出の最適化」にもつながることです。
どんな単純なことだとしても、ひと工夫するだけで出来が一変すること、あると思います。
工夫なしに漫然と人と同じことをしていては、人と同じ結果が生まれやすく、そして工夫を施せる人は、人としても魅力的に感じます。工夫とは「生きる知恵」になるからですね。サバイバル術も、工夫と知恵の賜物です。
経済的自由を早めるためにも参考になるのが、「いかなる状況でも工夫できる余地を探り続ける」ことです。
以下ご紹介する方からも、学べることは多々あると思います。
いかなる状況でも、今あるもので工夫できる余地を探り続けること【支出の最適化】
先般、スペインと中国の血が混じるフィリピン国籍の40代女性とお話する機会あり、印象深かったのでシェアします。
私は基本的に人(・人生の先輩)の話をお伺いするのが好きです。学ばせていただくことは、無数に転がっています。こういう方とのお話から着想を得ることも少なくありません。
フィリピン:兵役制度がある時代の方がよかった?
フィリピンのアキノ大統領が選出される以前は、マルコス大統領が政権を握っていました。その時代には、兵役義務があったのだそうです。
落第制で、合格しないとひたすら同じことをやる必要あり。さらに、1日休むと3日同じ作業をする必要あり、といった具合で厳しかったと。
その兵役でやっていたこと・身についたことは、以下の通りだそうです。
軍事訓練で身につけたこと
- ひとりで鶏を絞め殺して、料理まで(ニワトリを逆さにして血を抜く、時間が経つと血がゼリー状に、食べ方は湯煎して焼く)
- 米の収穫から精米までやる(干して1週間後に枯れる、はさみ状のもので削ぎ取って抜いて、皮のまま残るから再び干して、叩いて、米と皮を分離して、…といった具合で全て機械を用いずマニュアル)
- 海で捕れたものをどう料理するか。鍋もない中で、ウニの殻に米をスプーン2~3杯を入れて、バナナの葉っぱを重ねる。それをヤシのタワシ状の皮で包んで、炭と石を入れて葉っぱを入れて蓋をすると、ごはんが炊ける
アキノ大統領時代以降は、マルコス時代と政策が異なり兵役義務がないため、現代のフィリピンの子供はこれらの経験がないそうです。
今となっては、以下のような背景から「マルコス時代がよかった」とする人も多いのだそう。
- 「創意工夫によって点数が上がるほど、兵役期間が短くなって早く卒業ができるから、自然と工夫するようになった」
- 「泣きながら辛かったけど、楽しかった。非常に良い経験だった」
- 今のフィリピンの子供は、サバイバル術も、小麦粉の木(というかゴボウ的な見た目、ドクダミ・キャッサバに似てる)がどれかも、わからない現状。
こういった経験があったからこそ、その女史からは「今あるもので工夫する」という考えが随所にみられる、そんな気がしました。
たとえば、その方からは以下のような創意工夫が見られます。
- 衣服を断捨離する時も、裁断してラグにしたり、
- ジーパンも捨てずに足の部分は物を詰めてウエストの部分に土を入れ、それをプランターとして利用
- 捨てるようなカップや棒を立てられるような形状のものは、装飾を施して花瓶にする
- こたつの布の部分も、裁断してミシンで自分で作るなど、
- 非常時は、やかんがなくともビニール袋で沸騰させることも可能。瓶・缶・布でランプも作れる
「捨てるのも買うのも、今はお金を出せば簡単なことだけど、捨てるにしてもどういう風に活用する余地があるのかを常に考える」とのこと。
こういうことですよね。深く共感します。
もちろんバランスは大事です。常に考えるのは無理でも、ときどき意識してみるとか、あるいは取り入れられるところだけ取り入れればよいですね。
いかなる状況でも、工夫できる余地を探り続けること
賢さというのは、なにも学歴とかよりも、(もちろん素地になり得ます)、「いかなる状況にあってもどのように工夫できるか考案できる力」これこそが元来の「賢さ」ではないかとも思います。
「人と比べることに本質的な意味はない」という文言の背景にあるのは、こういうこともあると私は思います。
環境も人格も全て異なる人々と比べること自体、なんら意味を成さない。状況が違うのですから。それよりも、その状況で、つまりいかなる状況でも、なにを考え、工夫できるのかが、重要と感じます。
時間と工夫
たとえば、この方とお話ししていて印象的なのは「時間を無駄にしたくないのよ」との言。
それなりになにかを成すには、一定期間において特定の地点に向かって継続して努めることが肝になってきますよね。
そして闇雲に走るよりも、工夫できる余地がないか、より良い道があるのかを模索し続けて考え続けることこそが、その成否と所要時間の分水嶺になると、私は常々おもいます。
その作業は、目標の達成だけでなく、重要な副産物として観点が養われ、ある1つの事象から多様なことを感じ取る洞察や経験が養われ、景色が見えてくることになります。
その景色がブレイクポイントになって、結果的に加速度的に上達したり目標まで近づいたりするんですよね。それは予告なく突然やってくる。語学でもスキーでも筋トレでも資産運用でも、同じと思います。
この方が体現する人生哲学
その方は、軽快にあっけらかんと笑いながら、こんな紙を見せてくれました。
「A happy person is not a person who is always in a good situation, but rather a person who always has a good attitude in every situation.」
「幸せな人とは、よい状況にある人のことではなく、どんな状況でもよい態度・心持ちを保てる人である」ということですね。
この方は、4カ国語の話者でもあります。
色々なことを経験して考えてきた中で感じたことから、この文章にしたそうです。
このように、教訓などを言語化して紙に書き出して持ち歩くことを、来日以降ずっと続けているみたいです。
素敵だと思いますね。こういったことをそれとなく背中で示せる人というのは、それだけの経験と思索があるのだと思います。
Best wishes to everyone!
「今あるもので何とかする」というのは、支出最適化にも通じることですね。金銭うんぬんよりも、工夫を探る機会になることこそが大きいかもしれません。
目の前のことに大いに取り組むと、見えてくるものは必ずあると思います。
出会いは、偶然の産物でもあり、とはいえ自らつかみにいくものでもあると思います。こういった出会いは、凝り固まった視界を広げてくれたものです。