何事もやりすぎるぐらいやるから、いつもちょうど良い塩梅が見つかる
以前、5時起床から雑草抜きをやり込んでいた時期があります。
雑草抜きごときにどんだけ時間かけとんねん(笑)と思うでしょうか。しかし、これが結局は刈り払い機による草刈りからの農業へと繋がっていったんですよね。
おそらく、雑草抜きをやり込んだからだと思います。無関係のようで、しっかり繋がっている。まさに根っこのように。
さて、こういった体験を積み重ねる中で、自分で薄々気づいていたことがあります。
それは私は特定の対象に関して、徹底的にやり込む性格がありますが、そのせいか毎回やり過ぎる位にやってその結果自分にとって心地よい塩梅が見つかることが多々あります。
意識してやっているのではなく、結果的にです(私だけでなく多くの方々にとっても、関心さえあえればやり込む傾向はあるのではないかと思います)。
徹底的にやり込むのは、自分の価値観・適性を明確にし、究めることに繋がる
何事もやり過ぎるぐらい徹底的にやってみると、ちょうど良い塩梅が見つかる
それは、
- 自分の価値観を明確にするという意味でも、
- 何かを究め、極めるという意味でも、
- 自分に合っている対象が何かを探るという意味においても
です。
やり過ぎるぐらいやってみたら
- 自分に合っているかどうか、
- 自分が楽しく感じるのかどうか、
- 自分の能力が活かせるのかどうか、
などいろいろな景色が見えてくると思います。
いちどきりの人生、
- なるべく自分が楽しく感じること、
- 心地よく感じること、
- 自分の能力が活かせること、
こういったものを人生の早い段階で見極めて、その自分の得意な環境に身をおくこともひとつの生き方ですね。
やり込むと、見えてくるものは必ずあるのではないか
- 水泳
- 階段
- 雪かき
- 雑草抜き
- FIRE後の料理
- 高尾ハイキング
- アンクルウェイト
- 特定の業務
- 留学での中国語・経済学の勉強
- 一時期の英語の勉強
- 中学時代のFINAL FANTASY XIと言うオンラインゲーム
など、いずれも熱中しすぎるぐらいやってきました
すると必ず違う景色が見えてきました。よくも悪くもです。徹底的にやり込まないと見えない景色というのはやっぱりあると思います。
もし今あなたが打ち込めるものがない場合、あるいは熱中できるものがない場合、もしかすると人生がつまらなく感じるかもしれません。
しかし人は秀でている部分とそうでない部分もあり、そして一長一短であり表裏一体であります。
自分が得意な分野、あるいは人の役に立てる分野、あるいは人にはないし、必ず何かがあるはずです。ですから、それを探し続けてみてください。
そして探し続ける際に有用な方法と言うのはやり過ぎるぐらいやってみることです。
とはいえ、もちろん健康を損なうほどやりすぎるのは良くありません。私はオンラインゲームをやりすぎて健康的とは言えない生活を送っていたのでその点は説得力がありませんが…(笑)
でも結局、オンラインゲームをやり込んだからこそ、完全燃焼してほかにエネルギーを全集中するようになったとも言えますね。本当に表裏一体です。
ご参考になりましたら幸いです。
Best wishes to everyone!
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ここまでお読みになって、気づいた方もおられるかもしれません。そうですね、結局支出の最適化の塩梅を測る上でも、両端を経験しておくとよいのです。
ちょうどよい塩梅さえ見つければ、節約と呼ばずとも、当然の習慣となります。
給与の何割を投資に回すのか、もよい塩梅が見つかるまで両端を経験すべく試行錯誤が一案です。