何事もやりすぎるぐらいやるから、いつもちょうど良い塩梅が見つかる
以前、北海道で5時起床からの、雑草抜きをやり込んでいた時期があります。
雑草抜きごときにどんだけ時間かけとんねん(笑)と思うでしょうか。しかし、これが結局は刈り払い機による草刈りからの農業へと繋がっていったんですよね。
おそらく、雑草抜きをやり込んだからだと思います。無関係のようで、しっかり繋がっている。まさに根っこのように(笑)
…
さて、こういった体験を積み重ねる中で、自分で薄々気づいていたことがあります。
それは私は特定の対象に関して、徹底的にやり込む性格がありますが、そのせいか毎回やり過ぎる位にやってその結果自分にとって心地よい塩梅が見つかることが多々あります。
意識してやっているのではなく結果的にそういうことになっています。(私だけでなく多くの方々にとっても、関心さえあえればやり込む傾向はあるのではないかと思います)
徹底的にやり込むのは、自分の価値観・適性を明確にし、究めることに繋がる
そこから言える事は意識的にせよ無意識的にせよ、
何事もやり過ぎる位徹底的にやってみた後でちょうど良い塩梅を探るのが、有効な方法である
ということです。
それは、
- 自分の価値観を明確にするという意味でも、
- 何かを究め極めるという意味でも、
- 自分に合っている対象が何なのかと言うことを探るという意味においても
です。
やり過ぎる位やってみたら自分に合っているかどうかそして自分が楽しく感じるのかどうかそして自分の能力が活かせるのかどうかなどなどいろいろな景色が見えてくると思います。
いちどきりの人生、
- なるべく自分が楽しく感じること、
- あるいは心地よく感じること、
- あるいは自分の能力が活かせること、
こういったものを人生の早い段階で見極めて、その自分の得意な環境に身をおくということが先決です。
やり込むと、見えてくるものは必ずあるのではないか
私は
- 北海道の雪かきにしろ、
- 北海道や関東での雑草抜きにしろ
- FIRE後は料理にしろ、
- アンクルウェイトにしろ、
- セミリタイア前は階段にしろ、
- 特定の業務にせよ、
- 留学での中国語・経済学の勉強にせよ、
- 一時期の英語の勉強にせよ、
- 中学生のFINAL FANTASY XIと言うオンラインゲームにせよ、
いずれも熱中しすぎるぐらいやってきました
すると必ず違う景色が見えてきました。よくも悪くもです。徹底的にやり込まないと見えない景色というのはやっぱりあると思います。
もし今あなたが打ち込めるものがない場合あるいは熱中できるものがない場合もしかすると人生がつまらなく感じるかもしれません。
しかし人は秀でている部分とそうでない部分もあり、そして一長一短であり表裏一体であります。
自分が得意な分野あるいは人に役に立てる分野あるいは人にはないし、必ず何かがあるはずですですからそれを探し続けてみてください。
そして探し続ける際に有用な方法と言うのはやり過ぎるぐらい徹底的にやってみるということです。
とは言え、もちろん健康を損なうほど何かをやりすぎるのは良くありません。私はオンラインゲームをやりすぎてあまり健康的とは言えない生活を中学生の頃送っていたのでその点においては説得力がありませんが…(笑)
でも結局、オンラインゲームをやり込んだからこそ、完全燃焼してほかにエネルギーを全集中するようになったとも言えますね。本当に表裏一体です。
ご参考になりましたら幸いです。
Best wishes to everyone!
ここまでお読みになって、気づいた方もおられるかもしれません。そうですね、結局支出の最適化の塩梅を測る上でも、両端を経験しておくとよいのです。
ちょうどよい塩梅さえ見つければ、節約と呼ばずとも、当然の習慣となります。
給与の何割を投資に回すのか、もよい塩梅が見つかるまで両端を経験すべく試行錯誤が一案です。