新自由主義からの揺り戻しが、早晩起こることも想定しておきたい
これはあくまで個人的な観点ながら、現在の市場自由放任的な政策を追求してきたレーガノミクス以降のアメリカや、2000年代前半以降の日本も漸進的ながら「新自由主義」と呼ばれます。
この揺り戻しが起きるシナリオも、頭に入れてておきたいと思っています。
新自由主義とは
市場原理主義と意味は近しく、「政府の積極的な民間介入に反対する立場でありつつ、古典的な市場自由放任主義よりもさらに、資本主義下の自由競争を重んじる考え方です。
一言でいえば、「マーケットに任せることが最も合理的・効率的」という主義ですね。
とはいえ、新自由主義・グローバル資本主義は功罪あり、私はどちらか片方を支持するスタンスにありませんが、その功罪は1人の投資家として認識しておきたいと思っています。
功罪の「罪」を修正する方向としては、所得再分配機能の強化や社会保障の拡充など、公共の利益に比重を置く形が挙げられます。
新自由主義からの揺り戻しへの対策
仮にこういったシナリオが現実化する場合の対策としては、いずれにしても特定のシナリオ(=今後も原理的な新自由主義が続く)にポジションを傾けすぎないことなのだろうと思います。「ある程度の現金比率を持っておく」ということですね。
私は別にコミュニストでもなんでもないですが、たとえば株式に対する課税を上げるなど、資本主義の歪みを是正する政策が本来的には妥当との考えもありつつ、しかし実際に実現するには大きな抵抗が考えられます。
近代経済学では個人主義的、個々人の効用を最大化することを是としており、新自由主義では特にマーケットが「見えざる手」によって適切な資源配分をもたらすという考えです。
しかしそれは理想論に近いと私は考えており、行きすぎると社会がどうあるべきかという議論は薄れると思います。
こういうと、ややケインズ派みたいですが(笑)
「個人の効用」と「社会の公共性」は、不可分
個人と社会は切り離せないものですね。
例えば一個人の効用が最大化されたとして、例えば私が1人で経済的自由を達成したとします。
しかしそれは、仲間とともに曲折を経てともに経済的自由を達成した場合よりも、効用は小さくなるでしょう。
いわば、三方よし(ここでは、個人・周囲・ひいては社会)的な形になって初めて、個人の効用が最大化すると考えています。
たとえば拙著でも、印税は時間コストの対価として妥当な額を受領するという意味での意義・効用はあるものの、それより遥かに上回るのは、読者の方々からいただく有難いメッセージです。
つまり、「個人の効用の最大化」と「社会」は、別物のように見えて、不可分のものと思います。
1人だけたくさんの富を蓄え、社会性なく天涯孤独であったならば、その効用の大きさは、果たしてどうでしょうか。
新自由主義は、この「個人の効用」と「社会性」のうち、前者の比重がどうしても重くなりがちな性質・メカニズムのように、私には思えます。
ここから先は、公共経済学などの範疇になってきそうですので、立ち入りませんが、こんなことも考えていますというお話でした。
Best wishes to everyone!
いずれにしてもバランスが必要と思います。現行社会ルールを泳ぐ上で、株式投資はますます欠かせないものになりそうですね。1人でやるより、家族でやった方が規模自体は大きくなります。
金銭面だけでなく、社会の側面やその他多様なことを感じ取れるきっかけにもなるのが、株式投資ではあります。
時間は金銭で一部代替できるケースもありますね。中立的に賢く活用すれば、益します。