昔こんな記事を書いていましたね。今でも振り返ると、参考になるように思います。
セルフイメージは高い?低い?
「既に欲しいもの手に入れてるのではないですか。この先はどうするのですか。」
以前2次会で、ある若者にこう聞かれ、考えさせられました。この言葉って、含蓄があるというか、示唆に富んだ一言のように感じました。
ある1つの事象や現実に対して、人によって感じ方や観点って異なりますよね。同じ状況や環境であっても、各人は異なる見方をして、異なる感想を抱いて、異なる結論を脳内で下して、異なる行動をする。
同様に、一定程度は赤裸々に書いてるこのブログを見てくださってる方から見える風景や私という人物像や置かれている環境を赤裸々に書いている以上、実際の私生活と符号します。
つまり、当たり前ですけど私は虚像ではなく、実際にそういう人間がいるという実像です。
ではここで、冒頭に戻って、なぜ考えさせられたかと言えば、自分に対する自己像(セルフイメージ)とその女性から見た像が必ずしも一致していないことに気づきました。当然ですけど。見る人が違えば見解は千差万別なので当然です。
なぜそのようなかい離が起こったのかといえば、私の持つセルフイメージが、その方から見た像ほど高くなかったからと結論付けることは可能です。
自分では「欲しいものを全て手に入れてる」と思ったことがありませんでした。
なぜか
原因は、「ある」ものにフォーカスしていなかったからかもしれません。人間って御しがたくて、ないものねだりな生き物って言及したことがありますが、確かに多くの人がそうでしょうし、それは真なのかもしれません。
でも、そうでない人もいて、セルフイメージがものすごい高い人も中にはいます。で、セルフイメージがすごい高い人って、セルフイメージが低い人より、同じ環境・状況・境遇でも何かを成し遂げやすいです。
「人間はないものねだりな生き物」って勝手に自分で定義づけちゃってるだけで、実際はそうじゃない人もいるでしょうし、「あるもの」だけにフォーカスしている人だっています。
だから、「人間はないものねだりな生き物」って自分で定義づけしてしまったことによって、そういう人間に自ら無意識に限定してしまってるっていう大きなリスクがあるってことです。
もしここまで読んでくださってる方がいたら、ぜひ胸に手を当てて考えてみてほしいんですけど、「ある」ものって絶対たくさんありますよね。
例えばある人においては
- 家族がいて、
- 衣食住足りていて、
- 20代で経済的自由も達成して、
- 登山や水泳などの好きなスポーツもできて、
この上なく有難い状況。にもかかわらず、冒頭の言葉でハッとしてるってことは、それだけセルフイメージが高くなかった証左かもしれません。
自分も含めて多くの人は、大きな夢を持てば持つほど、現実との落差にがっかりしてしまって「自分は持っていない」と、自分にないものにフォーカスしてしまって凹んでしまいがち。自分にないものにフォーカスして凹むと、その凹みはどんどん深くなる。
正直、配当収入も増えて、一応の語義上の経済的自由もささやかながら達成して、ってやっていくうちに、セルフイメージは確実に以前より高まっているのは確かです。
スペイン人の友達なんか、32歳で定職もないですけど、「人生は楽しむためにあるんだぜ!」って笑い飛ばしながらクラブでいまだにはしゃいでます。
別にそれで全然ええやん、って。日本人って「こうでなくちゃいけない」っていう観念があまりにも強烈で強すぎて半ば社会通念化しちゃっていて、もっと、「ある」ものにフォーカスして、セルフイメージ上げて良いと思うんです。
ただこれも行き過ぎるのではなくバランス、「ある」ものにフォーカスすること自体は大事なんですけど、それで満足しちゃって上昇志向がなくなる展開は、自分が望んでいるものではない気がしてます。
「ある」ものにフォーカスすることは、あくまでセルフイメージを上げる方法論であって、「ある」ものにフォーカスすること自体が目的化してはいけない。
ここまで読んでくださってる方の、「ある」ものって、何でしょうか。それにフォーカスすると、セルフイメージは確実に高まると思うので、「自分にはこれがない…」「自分にはアレがない…」という思考は金輪際やめて、「これもある!」「あれもある!」「最高やん!」
これでいきましょう。
Best wishes to everyone.