【貨幣の成り立ち】みんながお金だと思うからお金である、という側面を持つ「お金」

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本記事は、ビットコインが話題になり始めた2017年に記しはじめたものです。

内容としては、そもそも私たちが日々、なんらかの形で接する「法定通貨」や「貨幣」とは何かを考える上で、その土台となる基礎的な概念と思います。

人々の経済行動を見る上でも、行動経済学的な観点等においても、「そもそも貨幣とは」という概念は、特定の観点をより深堀した「洞察」に寄与するとも思います。

特に非伝統的な金融政策を中央銀行が続けてきた昨今においては、知っておいたほうが良いことだと思います。

以下、少々アカデミックというか、沿革的な話も混ざりつつ恐縮ですが、お金についてのお話です。

そもそも、貨幣(お金)って何?

私は学生の頃から「貨幣」というものの不可解さや、とらえどころのない実態に興味がありました。

「とらえどころのないもの」であればあるほど、飽きが来ないからでしょうか。

弊ブログでは繰り返しになりますが、日銀が発行する紙幣や貨幣というのはそれ自体に価値があるというより、信用が根幹となっていますね。

価値の源泉に、政府が日本国内で ”強制通用” や ”信用” を保証していることが挙げられます。更に言えば「人々が価値があると思っているから価値がある」とも表現できます。信用がなくなった状態とは、端的に言えば預金引き出しに殺到する人々をイメージするとわかりやすいかもしれません、

言ってしまえばそれだけ(上述黄色下線部)、といえばそうかもしれません。

※強制通用とは
無制限の強制通用力が日銀法第46条第2項で規定。強制通用力を有する貨幣による支払いは、受取人は受け取りを拒否できず、これにより決済は完了。

貨幣の持つ、3つの機能

では、そもそも貨幣とは、何なのでしょうか?

一応所属上は元経済学部生なので、書棚から当時の教科書を引っ張り出してみますと、貨幣には以下3つの機能があると説明されています。

  1. 決済手段(誰もが受容しやすい財や資産である)
  2. 価値保蔵(資産を保存する)
  3. 価値尺度(財貨の価値を測る尺度、計算単位)

一番の特徴は、①の決済手段です。残りの2つは「副次的に発生したもの」と経済学は定義しています。

決済手段であるためには、大衆が「これは貨幣だ」と認識することが必要です。さもなくば、市場で流通しようがなく、決済手段とならないからですね。

お金というのは、「みんながお金だと思っているからお金である」という論理展開の背景には、こういうことが挙げられはします。

ただし、これは論理的には、おかしいとされる「論理学でいう、トートロジー(同語反復)」と言って、説明になっていない事象と言えます。(大学で論理学を学んだことがありますが、顔のシワが1本や2本は増えそうな内容でした)

経済学者の岩井克人氏は「貨幣論」でこう記しています。

貨幣は貨幣として使われるから貨幣であるという自己循環論法こそ貨幣の本質

岩井克人著 「貨幣論」より

自己循環、つまりぐるぐる回って特定の帰着点が見つからないとも換言できると思います。

数学的帰納法的に、1人が使い、2人が使い、…1億人が使い、、という展開であれば流通しそうですが、そもそも0→1人の時は?とか。既に使われていることが所与の条件、、とか考えてるだけでぐるぐるしてきそうですね。

さて米ドルの紙幣を考えてみましょう。

色々な場所で使えると皆が思っていて、ドルで受け取っても良いという人がいるから使える」のであって、ジンバブエのお札ではその価値は著しく落ちます。発行体である政府の信用に天地の差があるからです。

  1. 国家がきちんと成立していて、
  2. 「お金ですよ」という保証をしていて、
  3. 私たちもそれをお金だと思っているからこそ、

お金として通用するわけですね。

お金というのは、共同幻想とも言われます。その字面からも、やや実態に欠ける面が浮き彫りになるでしょうか。

共同幻想:みんながお金だと思っているからお金であるというトートロジー(同語反復)

現代の貨幣と、貨幣の出発点

現代では国家が独占的に貨幣を発行します。私的に銀行券を発行したり、偽札を作れば通貨偽造の罪に問われます。

しかしこれは歴史的には新しい現象と言え、古くは「宗教的権威が帳簿や台帳に、農民の貢納を記録し、貸借した」とされています。

大航海時代には割符や元帳などのクレジットを基に遠隔地決済が行われ、その信用の源泉となったのは国家であったり民間であったとされ、国家が独占していたわけではありません。

最近の文化人類学や歴史学の研究で明らかになっていることは、貨幣とは、上記のように「誰が誰にいくら借りがあるのか」といった貸し借りを示す信用から出発したとの由。

お金の始まりと歴史

お金の始まりの身近な例で言えば、昔、我々の祖先は物々交換をして必要なものを入手していたと言われていますね。

狩猟で肉を得る人がいる。でも毎日お肉を食べてても飽きるので、たまには魚を食べたいと思うのが人間の性です。一方で魚ばかり食べている漁師はお肉をたまに食べたくなりますよね。

ここで漁師と狩猟者のニーズが合致するわけですね。そしてこの両者が物々交換という発想に至るにそう時間はかからないことは、容易に想像できます。

物々交換の場である、市(いち)の登場

しかし両者がある特定の場所で出会わないと、物々交換が成立しないので、両者の集まる場となったのが市(いち)です。

今でも四日市、五日市などという名称が地名として残っていますね。毎月4の付く日に市を開いていたので、四日市という地名に。

昔の「お金」= 貝、稲、塩の登場

ところが肉や魚は腐りますね。なので、とりあえず何か共通のなにかに替えてしまおうという発想で生まれたのが、「媒介となるもの」です。「媒介」は、1つのキーワードとなりそうですね。

中国では貴重な特定種のが、日本ではが、古代ローマでは貴重なが、それぞれ最初はお金の役割を果たしたとされます。

金貨、銀貨、銅貨の登場

しかし、は時間が経つと当然ながら腐ってしまいます。だって割れてしまいます。そこで、長く保存できて数量もあふれない程度のものということで、銀銅が登場します。

銀銅はいずれも加工・鋳造しやすい金属でもあるので、技術的ハードルも低かったとされています。

そして銀や銅というのはご存知の通り、劣化します。黒ずんだり錆びたりするので、価値保存の観点からは、が一番ということになります。

しかし交易量が増えるにつれて、貨を大量に持ち運ぶ必要があるため、限界が生じてきたとの由。

両替商の登場

そこで両替商の登場です。

両替商が貨を担保する「預かり証」を発行して、それを人々が利用すれば、いちいち大量の貨を持ち運ぶ必要がなくなるわけですね。

更に実際にモノの売買を行う際、金貨ではなく「預かり証」を売買してしまえば、わざわざ貨をたくさん持ち運ぶ必要もなく、スムーズですよね。

そして紙幣へと変遷。つまり、昔から金本位制のような、金の価値に裏付けされた紙幣であったというわけですね。

両替商は銀行へ、そして政府保証へ

明治になると、両替商が集まって銀行を形成。しかし中には悪い銀行がいて、預かり証を実数より多く発行する銀行が現れます。

そういった悪い銀行がいては交易が滞りますから、今度は政府が保証しようという動きになり、紙幣が誕生するという流れ。

ちなみに日本で貨幣が本格的に流通し始めたのは平安末期のこととの由。平清盛が主導した日宋貿易で大量の宋銭が輸入され、通貨として使用されました。

日本の日銀券とは何か

日本の通貨である日本円、つまり日銀券とは、本来日本銀行の債務証書です。

以前はや銀と交換できることを約束された兌換券でした。

日本では1932年までを基にしてお札が発行され、そのお札を持っていけばと替えることができる金本位制度でした。

現代では金銀などで返済する義務のない不換紙幣(請求権のない債務証書)に変わり、日銀の負債であるにも関わらず、日銀に返済義務のない有名無実の債務証書となっています。

貨幣はそもそも「譲渡可能な債務」とされています。いまいちピンと来ませんね。それは普段人々が気にしてない事実だからです。

発行元の国家や中央銀行が安泰である限り、その紙幣が元々は誰の債務だったかといちいち考えて決済を行う必要はありませんから

ちなみに日銀券の発行体は、日本銀行ですね。

発行体が存在しないビットコイン

さて、性質を異にする”貨幣”が出現しました。ビットコインです。

既存通貨との決定的な違いは、発行元が国家や中央銀行である既存通貨に対し、ビットコインには実質的な発行者がいないということですね。

発行者が存在せず、誰の債務でもなく、金のようにそれ自体に独自の価値があり、更にデフレ性のある資産とみなされ始めている面はあるでしょう。

米ドルやユーロ、日本円は長期的に見れば減価が想定されます。対してビットコインは発行量が既に決められており、既存通貨のように無制限に増殖する性質とは言い難い側面があるとされていました。

ただしフォークによって発行量を増やせるとなると、既存通貨と同じく発行量が増やせてしまう(減価リスク)があると言えそうです。

まとめ

発行体の債務証書という性格を持つ既存通貨と、発行体が存在しないビットコイン。

突如として現れた仮想通貨は、私たちのお金や決済の概念を覆す可能性も秘めているという見方もありますね。個人的には発行量を増やせてしまうのであれば、魅力は低下するかなと思います。

今のように各国中銀が紙幣を大量に供給して、「貨幣減価政策」とも言えるような政策を採っていれば、ゴールドと同様に、ひとつの代替手段として注目されることもあるのでしょう。

この非伝統的な金融政策は、いったいどのような産物あるいは歪みを生み出すのか、この新しい潮流にどう対応し、どう向き合っていけば良いのか、これは一時的か永続的か不明ながら、大きな宿題になり得る事象と思います。

株式市場への影響も同様です。非伝統的政策という言葉が物語るように、金融市場への影響もまた非伝統的なものになり得るということです。

「そもそも貨幣とは何なのか」ということを理解しておくことは、仮想通貨に限らず、中央銀行の政策や貨幣自体を考える上で土台になると思うので、まとめてみました。

ご参考になりましたら幸いです。

Best wishes to everyone!

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公開日:2017年11月25日