お金とは、みんながお金だと思うからお金やねんで。

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そもそも、貨幣(お金)って何?

私は以前から「貨幣」というものの不可解さや、とらえどころのない実態に興味がありました。

弊ブログでは繰り返しになりますが、日銀が発行する紙幣や貨幣というのはそれ自体に価値がある訳ではありませんね。政府が日本国内で”強制通用”や”信用”を保証しているから、価値があるだけです。更に言えば「人々が価値があると思っているから価値がある」というだけです。言ってしまえばそれだけなのです。

※強制通用とは?

無制限の強制通用力が日銀法第46条第2項で定められています。強制通用力を有する貨幣による支払いは、受取人は受け取りを拒否することができず、これにより決済は完了することになります。

貨幣の持つ3つの機能

ではそもそも貨幣とは何なのでしょうか?

一応元経済学部生なので、書棚から教科書を引っ張り出して開いてみますと、貨幣には以下3つの機能があると説明されています。

  1. 決済手段(誰もが受容しやすい財や資産である)
  2. 価値保蔵(資産を保存する)
  3. 価値尺度(財貨の価値を測る尺度、計算単位)

一番の特徴は①の決済手段です。残りの2つは副次的に発生したものと経済学は定義しています。

決済手段であるためには、大衆が「これは貨幣だ」と認識することが必要です。さもなくば、市場で流通しようがなく、決済手段とならないからです。

お金というのは、みんながお金だと思っているからお金なのです。

これは論理的にはおかしいです。論理学でいうとトートロジー(同語反復)と言って、全然説明になっていないのです。

経済学者の岩井克人氏は「貨幣論」でこう記しています。

貨幣は貨幣として使われるから貨幣であるという自己循環論法こそ貨幣の本質

岩井克人著 「貨幣論」より

貨幣とは、これ以上でもこれ以下でもないものでしょう。

米ドルの紙幣は色々な場所で使えるなとみんなが思っていて、ドルで受け取っても良いという人がいるから使えるのであって、ジンバブエのお札ではその価値は著しく落ちます。発行体である政府の信用に天地の差があるからです。

国家がきちんと成立していて、お金ですよという保証をしていて、私たちもそれをお金だと思っているからこそ、お金として通用するわけです。

お金というのは共同幻想なのです。

共同幻想:みんながお金だと思っているからお金であるというトートロジー(同語反復)

現代の貨幣と、貨幣の出発点

現代では国家が独占的に貨幣を発行します。私的に銀行券を発行したり、偽札を作れば通貨偽造の罪に問われますね。しかしこれは歴史的には新しい現象と言え、古くは宗教的権威が帳簿や台帳に、農民の貢納を記録し、貸借しました。大航海時代には割符や元帳などのクレジットを基に遠隔地決済が行われ、その信用の源泉となったのは国家であったり民間であったとされ、国家が独占していたわけではありません。

最近の文化人類学や歴史学の研究で明らかになっていることは、貨幣とは、上記のように「誰が誰にいくら借りがあるのか」といった貸し借りを示す信用から出発しています。

お金の始まりと歴史

お金の始まりの身近な例で言えば、昔我々の祖先は物々交換をして必要なものを手に入れていました。

狩猟で肉を得る人がいる。でも毎日お肉を食べてても飽きるので、たまには魚を食べたいと思うのが人間の性です。一方で魚ばかり食べている漁師はお肉をたまに食べたくなりますよね。

ここで漁師と狩猟者のニーズが合致するわけです。そしてこの両者が物々交換をするのにそう時間はかかりません。

物々交換の場である、市(いち)の登場

しかし両者がある特定の場所で出会わないと、物々交換が成立しないので、両者の集まる場となったのが市(いち)です。

今でも四日市、五日市などという名称が地名として残っていますね。毎月4の付く日に市を開いていたので、四日市という地名になりました。

昔の「お金」= 貝、稲、塩の登場

ところが肉や魚は腐ります。なので、とりあえず何か共通のなにかに替えてしまおうという発想で生まれたのが、「媒介となるもの」です。中国では貴重な特定種のが、日本ではが、古代ローマでは貴重なが、それぞれ最初はお金の役割を果たしていました。

金貨、銀貨、銅貨の登場

しかし、は時間が経つと当然ながら腐ってしまいます。だって割れちゃいます。そこで、長く保存できて数量もあふれない程度のものということで、銀銅が登場します。

銀銅はいずれも加工・鋳造しやすい金属でもあるので、技術的ハードルも低かったのです。

そして銀や銅というのはご存知の通り、劣化します。黒ずんだり錆びたりするので、価値保存の観点からが一番ということになります。

しかし交易量が増えるにつれて、貨を大量に持ち運ぶ必要があるため、限界が生じてきます。

両替商の登場

そこで両替商の登場です。両替商が貨を担保する「預かり証」を発行して、それを人々が利用すれば、いちいち大量の貨を持ち運ぶ必要がなくなります。

更に実際にモノの売買を行う際、金貨ではなく「預かり証」を売買してしまえば、わざわざ貨をたくさん持ち運ぶ必要もなく、スムーズですよね。

そして紙幣へと変遷していくわけです。つまり、昔から金本位制のような、金の価値に裏付けされた紙幣であったというわけです。

両替商は銀行へ、そして政府保証へ

明治になると、両替商が集まって銀行が形成されます。しかし中には悪い銀行がいて、預かり証を実数より多く発行する銀行が現れます。そういった悪い銀行がいては交易が滞りますから、今度は政府が保証しようという動きになり、紙幣が誕生するということになります。

日本の日銀券とは何か

日本の通貨である日本円、つまり日銀券とは、本来日本銀行の債務証書です。

以前はや銀と交換できることを約束された兌換券でした。

日本では1932年までを基にしてお札が発行され、そのお札を持っていけばと替えることができる金本位制度でした。

現代では金銀などで返済する義務のない不換紙幣(請求権のない債務証書)に変わり、日銀の負債であるにも関わらず、日銀に返済義務のない有名無実の債務証書となっています。

貨幣はそもそも「譲渡可能な債務」とされています。いまいちピンと来ませんね。それは普段人々が気にしてない事実だからです。発行元の国家や中央銀行が安泰である限り、その紙幣が元々は誰の債務だったかといちいち考えて決済を行う必要はありませんから。

ちなみに日銀券の発行体は言わずもがな、日本銀行ですね。

発行体が存在しないビットコインの登場

しかし昨今、性質を全く異にする”貨幣”が出現しました。ビットコインです。

ビットコインと既存通貨の決定的な違いは、発行元が国家や中央銀行である既存通貨に対し、ビットコインには発行者がいないということです。

ビットコインは発行者が存在せず、誰の債務でもなく、金のようにそれ自体に独自の価値があり、更にデフレ性のある資産とみなされています。米ドルやユーロ、日本円は長期的に見れば減価しています。対してビットコインは発行量が既に決められており、既存通貨のように無制限に増殖する性質のものではありません。供給量が予め決まっているが故にあれだけ乱高下するとも言えます。

まとめ

発行体の債務証書という性格を持つ既存通貨と、発行体が存在しないビットコイン。

突如として現れた仮想通貨は、私たちのお金や決済の概念を根本から覆す可能性を秘めていると思います。

今のように各国中銀が紙幣を大量に供給して、貨幣減価政策とも言えるような政策を採っていれば尚のこと。

この新しい潮流にどう対応し、どう向き合っていけば良いのか、これは大きな宿題としてこれから考えていきたいと思っています。「そもそも貨幣とは何なのか」ということを理解しておくことは、今後ビットコインや仮想通貨を考える上で土台になると思うので、まとめてみました。

Best wishes to everyone!

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